私のプロフィール 小学生の日記のヒミツ

 以前、私のプロフィールの紹介で、『好きこそものの上手?』という記事の中で、日記と私の関係について簡潔に説明しました。ページの下に赤い字で書かれた担任の先生のコメントを読んで、舞い上がってしまったということを書きました。
 実は、あらかじめ、この日記の書き方を担任の先生から指導されていました。もちろん、普通は、日記の書き方にルールなどありません。けれども、小学生にどうやったら毎日日記を書かせられるかを、先生は考えていたのだと思います。毎日提出する宿題のようなものでしたから、中途で飽きてやめてしまうようなものでは意味が無いと、考えていたのだと思います。
 その方法を説明する前に、この課題が学校からの課題ではなくなった後、自発的に私が日記を書いていた、ある日の例を示してみます。
 ○月○日(火) ⑥初心忘れるべからず。
たった一行でした。つまり、昭和××年○月○日の私の『今日の一言』は「初心忘れるべからず。」でした。私の会得した日記の書き方の基本は、こんなものです。そもそも、日記というものは、他人に見せるものではなく、自分自身がわかればいいものだと思います。その記述から、過去を思い出したり、逆に思い出せなくても、読み直して楽しめます。一番大切なことは、何でもいいから、たった一言でもいいから、『日記に書く』という行動を起こすことです。『日記に書く』という、きっかけが大切なのです。
 小学校の担任の先生は、クラスのみんなにこんな日記の書き方のルールを教えてくれました。まず、その日の日付と曜日を、ページの頭に書きます。その日の天気は、あえて書きません。夏休みの日記のようには書きません。今日の天気のことを考えて、書く手が止まってしまわないためです。その代わり、以下の①から⑦までの項目別に、その日に知ったことをもとにして、内容を書いていきます。もしも、書くことが無い場合、思い浮かばない場合は、項目番号の次に「なし。」とか「特になし。」とか書きます。各項目に書く内容、および、その記述の例を以下に示します。

[各項目に書く内容]
① 今日のできごと
② 変わったこと
③ 自分のこと
④ 他人のこと
⑤ 考えたこと、思ったこと
⑥ 今日の一言
⑦ その他

[記述の例]
1月27日(木)
①今日は、ぼくの誕生日でした。お母さんはなぜか朝から、うれしそうな顔をしていました。晩ご飯に、ごちそうが出るよと、ぼくは予告されました。
②珍しく虹が空にかかるのを見ました。
③クラスの友だちと、やっと同じ年になれて、うれしかった。
④なし。
⑤テレビを見ていたら、今日は天才音楽家モーツアルトの誕生日だと知りました。ぼくは、モーツアルトと同じ日に生まれたことを知りました。
⑥ローマは一日にしてならず。
⑦特になし。

 「なし。」「特になし。」の項目ばかりだと、ページの下のコメントで先生に注意されましたが、最低2項目くらい真面目に書かれていれば、ページ全体に赤いペンで丸を付けてもらえました。上の記述例を見てもわかるように、項目ごとに関連してても、関連していなくても、どちらでもかまいませんでした。各項目は、無理に書く必要は無く、基本的には、自分の知っていることや覚えたことだけを書けばいいことになっていました。
 上の各項目に書く内容をみてもわかるように、項目別に書くのは、書くことを整理するためではありません。書きたいと思う内容をまず考えると、複数の項目にまたがることが実際には多いのです。つまり、書きたいと思う内容を、頭の中から引き出すためのキーの役割を果たしているにすぎません。
 上の記述例で、①に書いた内容を③に変えたり、⑤や②に書いた内容を①に変えたりしても、かまいませんでした。ただし、⑥の内容を①②③④のどれかに変えて書かれていると、読む側がよくわかりません。なので、「『ローマは一日にして…』から、きみが学んだことを次回は書いてください。」というコメントが、ページの下に先生の赤い字で書かれます。すなわち、担任の先生(読む側)にとって、各項目はテーマであり、それによって日記に書かれた内容をチェックできます。小学生の私(書く側)にとって、各項目は意識する問題点や視点であり、日記を書くきっかけをつかめるようになっていました。
 学校からの課題ではなくなった後でも、私が個人的に日記を続けていけたのは、このような少し変わったルールに従っていたからではないかと思います。さらに、私なりの改良も加えてみました。「なし。」「特になし。」の項目は、項目番号自体を記入しないことにしました。項目番号の順番も、書きたい順にして、いきなり④とか⑤とかから書いてみたり、最後に①とか②とかを付け足すようにもできるようにしました。絵とか落書きとか物語とか詩とかも、⑤とか⑦とかを付けて自由に日記に書けるようにしました。
 日記というよりも、日付のついた自由帳という感じの、何を書いてもいい、いわゆる、『なんでも日記帳』になっていました。あとで自分自身で読み直して、見直して楽しむことができるものでしたが、書いているときは、そのような先のことは、全く意識せずに書いていました。書くだけでも気分発散になる、そんな感じの日記帳でした。