仕事と趣味に関する考察

 今回は、仕事と趣味の違いとか、仕事と趣味をどう扱っていくかという問題について、私自身がどう考えていたかを披露したいと思います。
 若い頃の私は、仕事と趣味が同じでした。趣味でコンピュータをいじくり、かつ、仕事でもコンピュータのソフトウェアを開発していました。コンピュータ漬けの毎日が続きましたが、20代の若い頃には誰しも大いにありうることです。一つの対象に集中する時間が長いほど、それに対する技術力が磨かれるものです。また、仕事が忙しくなると、趣味はそっちのけで、24時間コンピュータの仕事に打ち込むこともありました。仕事と趣味に割りふられる時間の割合が変化しても、その対象が同じであると、生活の変化を感じにくいものです。生活のリズムを崩さずに済みました。
 そうした経験から言えることは、仕事と趣味が同じ対象(私の場合は、コンピュータ)である場合は、その切り換え、つまり、仕事と趣味を区別することが重要だということです。それを区別しないと、公私混同が起こったりして、仕事上で他人に迷惑をかけたりします。かつて私も、そういう失敗をしたことがありました。忙しい仕事中に、一息入れようと、趣味でコンピュータをいじっていたら、上司や先輩に注意されました。仕事場に趣味を持ち込むな、趣味は家に帰ってからにしろ、と言われました。仕事の時間と、趣味の時間を区別するよう言われました。
 そんなことを言われても、仕事でもコンピュータ、趣味でもコンピュータでは、どう区別できるものかわからない。と、当時の私は思っていました。どうにもならない、と当時は思っていました。誰も、どうやって仕事と趣味を区別していいのか教えてくれませんでした。でも、仕事と趣味は、その特徴から明らかに違います。現在の私ならば、それがわかります。
 仕事には、必ず終わりがあります。どんな仕事にも、納期というものがあって、仕事を終わらせる日時が必ず来るのです。指定の日時までに終わらせるのが『仕事』であり、終わりのない『仕事』というものは存在しません。仕事には必ず、それを依頼したお客からお金が支払われるからです。終わりのない仕事というものがもしもあったとしたならば、気をつけなければなりません。例えそれに対する報酬としてお金が支払われていたとしても、その仕事にいつまでも縛られてしまい、他の仕事をする自由が奪われてしまうこともあるからです。
 それに対して、趣味には、終わりが基本的にはありません。いつ始めようが、中断しようが、やめようが、それはすべて個人の自由です。個人で立てた目的が達成できても、できなくても、いつでもやめたり、始めたりできるのが、趣味なのです。趣味に、納期のような、はっきりとした終わりはありません。やめたい時にやめられます。中断したい時に中断できます。いやだったら、無理をして続ける必要はありません。途中で無理だったり、やめたいと思ったら、やめられます。ライフワークとよく言いますが、もし一生涯続けたいことがあったとしたら、無理をせずに続けたいのならば、それは仕事としてよりも趣味としてやるべきだと思います。
 『仕事と趣味を区別する』と言うことは、こういうことです。つまり、仕事には終わりが必ず来かるので、『仕事は終わらせるものだ』と言うことです。仕事は、納期までに終わらせて、お客からお金を払っていただかなければ、意味がありません。そのためにかならず『終わらせる』もの、それが『仕事』なのです。
 だから、世間でよく言われるように、仕事に好き嫌いなどあってはならないし、原則として、仕事にえり好みなどあってはならないのです。職業選択の自由はあっても、具体的に任される仕事内容の選択の自由があるのではありません。委託される、つまり、受注する仕事の場合、お客の意にそぐわない仕事など、意味がありません。
 私は、農作物を直売所に出荷する場合、かなりの自由度があると感じてはいます。けれども、それでもお客が欲しくないものや買ってくれそうにないものは売れ残ってしまうため、商品としては出せません。お客が買ってくれる商品を作るための仕事であったらば、好き嫌いに関係なく、やらなければなりません。もちろん、仕事の仕方は自分で自由に工夫ができますから、必要な作業をイヤだからやらないということはありえません。
 私は、かつてサラリーマン時代にこんな経験をしました。上司の人から以前渡された仕事でどうしても仕上がりが上手くいかなかった仕事がありました。それと同じパターンの仕事を再び同じ上司の人から頼まれました。私は、この仕事が以前上手くゆかずに終わってしまったことを彼に説明して、私にはこの仕事は無理だと伝えました。すると、その上司の人は、不機嫌になって、「じゃあいいよ。せっかくきみに頼んだのに、やってくれないならば仕方がない。」と言って、その仕事を即座に私から取り上げてどこかに行ってしまいました。私はこのことで唖然としてしまいました。今の私の能力ではこなせないと伝えただけなのに、そう相手には伝わらなかったようなのです。私には仕事をやる気がないのだと、思われたようなのです。私は、何の躊躇もなく仕事を取り上げられるとは思っていませんでした。
 仕事というものは、自分自身の満足度よりも、お客の満足度のほうが優先するものなのです。趣味ならば、自分自身の満足度さえ良ければ申し分ありません。しかし、仕事はお客の満足度が良くないと話になりません。お客にお金を払っていただくには、それだけの努力を認めてもらわなくてはならないからです。
 私は、今の若い人たちの仕事に対するあやふやな考え方が気になります。本当にこの人たちは、お客からお金を払っていただくための仕事をできるように一人立ちできるのだろうか、テレビでの一般の意見を聞くたびに思われて仕方がないのです。でも、仕事ではなく趣味だというのならば、無理に一人立ちしなくてもかまわないし、気楽に一生涯続けても誰にも迷惑はかからないと思います。ボランティアや社会奉仕の精神は、そうした自由な考え方から生まれたと思っています。
 誰でも若いうちは、仕事と趣味が一致しているほうがいいかもしれません。一芸に秀でたり、専門的な技術を身につけるためには、それだけの努力と時間が必要なのです。しかし、私の考えでは、年をとると自分自身や家族の生活の為にお金が必要になるため、生計を立てるための仕事と、趣味的なこととは、別の方が良いような気もします。既に述べたように、趣味的なことは納期がありませんから、仕事が忙しかったらやらなくてもいいのです。逆に、仕事一辺倒にならないように、自己実現の手段の一つとして何か趣味を持っておくと、何かの役に立つことがあったり、自分自身が救われたりすることがあったりするかもしれません。強制的なものではありません。だから、私はちょっとお勧めするだけです。私の実家の家族を見ても、至って一般的な普通の家族で、普段は気楽に話しをするくらいで、あとは家事をしているだけです。従って、趣味は、あまりのめりこまず、理想的には、余った時間に簡単にできるものがいいと私は思います。