私の本業 スーパー・フレックス・タイム

 一般に農業と言うと、朝明るくなって夕方暗くなるまで働いて、毎日が同じサイクルで、一年を通じて規則正しい生活をしていると思われがちです。昔はそうだったかもしれません。けれど、それはあくまでも一般的なイメージにすぎません。
 少なくとも私は違います。日中の暑い日々が続いていた頃は、昼寝の時間をとっていましたが、今は日中でも涼しいので、昼寝をしないで屋外作業ができます。日の出の時刻が遅くなったので、早起きをしてもまだ外が暗く、つい二度寝してしまいます。最近は朝寝坊してしまうことが多いのです。
 しかし、よく休んだ分、体調が優れて集中力も高いので、午前中から日中の作業に支障は起きません。夏場の最盛期と比べて、毎日に必要な作業量も変わってきているので、無理をしないように気をつけて、今できる仕事を続けています。
 私にとって、この仕事は『労働』ではなく、『活動』なのです。毎日、決まった時刻から決まった時間働いて、決まった賃金をもらう、いわゆる『労働』とは違い、収穫した農産物をJAの集荷場や直売所に持って行って、売れるまでの『活動』なのです。それにかかる時間は、日々違います。
 従って、毎日働いている時間が違います。しかも作業時間で収入が決まるとは限りません。扱う農作物によって、手間のかかる度合いが違います。農作物が実際に売れるまで、どれくらいの手間がかかるかわからない場合もあります。時間を決めて働く労働では、すべてをまかないきれない場合もあります。
 この仕事は、サラリーマンの生活に慣れた人にとってはつくづく向かない仕事であると思います。これは、農業法人でも同じことです。私はかつて農業法人に見習い研修生として、使ってもらったことがありましたが、普通の会社以上に仕事がハードでした。あれでは、現場から日本人がいなくなるのも無理ないなと思いました。代わりに雇われている真面目な中国人だって、インド人だって、外国為替レートの旨みが無かったら、日本で農業なんか死んでもやらないと思います。
 農業の労働力で、第一次産業以外の企業並に収益を上げること自体、かなり無理な話だと私は思っています。農業の法人化や大規模経営は理想ではありますが、消費者の購買力にも生産者の労働力にも人間としての限界があります。私は、地元の直売所に出入りして、その現実を知りました。人間不在の理想が一人歩きできるのでしょうか。地面に足をつけて考えてみれば、それは机上の空論に過ぎないと私は思うのです。
 とんだ大風呂敷を広げてしまいましたが、個人的には体を壊さずに長く細く仕事を続けていくことが大切だと思うのです。サラリーマン時代のやり方にこだわらない。仕事上、どこまでが許されて、どこまでが許されないのかを自分自身で考える。それは仕事をする時間についても、自分自身の体としっかり相談して、決めるだけの余裕が無ければ、思わぬ危険や事故にあうだけです。時間の使い方には、自己責任が伴います。