いろんな『ハナミズキ』を視聴しているうちに…

 先日地元のホームセンターでハナミズキの苗木を何種類か見かけました。そこで思いついたのが、ネットのYouTubeで人それぞれの『ハナミズキ』の演奏を視聴することでした。今回は、それについて書いてみようと思います。
 その前にひとこと言っておきますが、私はアナログ人間でもアナログ世代でもありません。1990年代初頭に、私は、秋葉原にMS−DOSの最新版を探しに行って、ウィンドウズ3.0というソフトに偶然出会いました。それを買って当時持っていたPC−9801(16ビットパソコン)に載せて以来、私は写真(画像データ)や音楽(音声データ)やデジタルビデオ(動画データ)などのマルチメディアをいじくるようになりました。また、文字や文章(テキストデータ)などをハイパーテキスト形式にして扱うことを学びました。1990年代の私は、このようにパソコンとその周辺ハード機器(イメージスキャナ、サウンドボードビデオキャプチャーボード、大容量記憶媒体など)や各種ソフトウェア(ハイパーリンクサウンドレコーダー、ムービーキャプチャーなど)を買って、パソコンとOSのシステムにそれらを追加増設していました。そして、文字や画像や音や映像をなるべくパソコン上でデジタル化して処理することに夢中になっていました。当時それらをパソコン上で扱うことは、かなり面倒くさくて手がかかりました。が、当時の私は、目新しいやり方に飛びつきたがる年頃だったので、そんな『趣味のパソコン』に膨大な時間を費やして熱中していました。
 私のブログ記事はこれまで見てのとおり、写真も音声も映像も付いていません。文字による文章ばかりで、昔からマルチメディアやハイパーテキストに慣れ親しんでいた人間とは思えないような体裁になっています。ご覧のとおり、私はマルチメディアで表現するのが苦手なのです。ハイパーマルチメディア・クリエイターの表現は理解できても、それを私自身が表現できるというわけではありません。
 だからと言って、私がアナログ人間でデジタルが苦手だ、というわけではありません。私は言葉だけで表現するだけでも十分デジタルであると思っています。本当にアナログな人間は、言葉だけでは伝えられないような微妙な感覚を持っています。それは、使う言葉に対しても、そう簡単には伝えきれない微妙なニュアンスを含めているような感覚なのではないかと思います。
 そんな私が、最近ネットのYouTubeを視聴するようになり、夢中になるのは必然的であったと思います。『ハナミズキ』という歌に関しても、CDを以前買って持っているくせに、YouTubeでいろんな人のカバーする演奏を視聴してみたく思いました。
 本人歌唱のいくつかのパターンを見た後、一青窈さん以外にも徳永英明さん等の歌手の方々や、新垣結衣さんなどの若手の女優さん等等、ソロでこの歌を歌っている動画をいくつも視聴してみました。この歌の世界が、その人その人の心の中の世界として表現されるところに、この歌がソロで歌われることの最大のメリットがあるようでした。また、アカペラグループや合唱団といった複数人数による歌唱のパターンも拝見してみました。以下に書きますが、ソロで歌われるのとは別のメリットがありそうです。合唱の場合、ピアノ伴奏はどれもシンプルな場合が多いようです。さらに、初音ミクVOCALOID2などの演奏もチェックしてみました。初音ミクのソロ演奏よりも、合唱形式のVOCALOID2のほうが、私には聴きやすく思えました。変わったところでは、平井堅さんの歌唱?もありました。知っている人は知っていると思いますが、本人歌唱の再生スピードを若干落としたトリック演奏でした。
 その中で、私が一番気に入った『ハナミズキ』の歌は、合唱バージョンの『ハナミズキ』でした。それは、混声3部合唱で、合唱編曲、つまり、コーラスやハモリのためのアレンジがされていました。その合唱編曲(アレンジ)の出来が良かったので、私は興味を引かれました。もしもこの歌を恋の歌としてとらえるならば、その混声合唱はまさにその青春の光と影を表現しているように私には思えました。女声のパートは青春の光の部分を、男性のパートは青春の影の部分を表して、その光と影のハーモニーが『青春』というものを立体的にして見せているような感じでした。具体的には、恋に対する憧れと悩みが入り混じった気持ちが、その混声3部の合唱で綺麗に表現されていました。そこには、どろどろしたものや『泣き』のようなものが感じられません。青春のスッキリ感が、恋への憧れとその悩みの間で揺れていて、若い人たちの芝居を見ているかのような音楽になっているのです。また、その合唱アレンジではいろんな高さの声のハーモニーが聴けて、それが何度も聴きたくなる原因になっているのかもしれません。
 最後にもう一つ、私の目にとまった『ハナミズキ』の動画について述べておきます。ブラジルのテレビ番組で8才くらいの日系ブラジル人の女の子がこの歌を歌っていたものです。別の動画で、その女の子を現地調査した結果が見れました。日本語がまったく話せない、また、聞いて理解することもできないのに、日本語の歌を日本語で歌えるという少女でした。しかも、その歌が上手いのです。私は、その少女の『瀬戸の花嫁』を別の動画で視聴しました。
 実は、私は子供の頃に小柳ルミ子さんの『私の城下町』や『瀬戸の花嫁』をテレビやラジオで何度も視聴したことがあります。小柳ルミ子さんの歌い方の感じをおぼろげながら憶えています。メリッサ・クニヨシという名のその少女は、『瀬戸の花嫁』の歌い出しは、あの頃の小柳ルミ子さんに似ていたと思います。がしかし、歌が進むにつれて、歌い方そのものが小柳ルミ子さんのそれとは違うことに私は気づきました。確かに、その少女の歌い方は上手でした。ブラジル人の観客たちは歌が終わると、総立ちで拍手していました。けれども、小柳ルミ子さんの歌い方の感じがどうしても私の記憶の底にあったので、ちょっとばかりの違和感を感じてしまいました。小柳ルミ子さんは、日本の瀬戸内海の内海(うちうみ)のように波の穏やかな、優しい感じで、もうちょっと華やかな声の調子で歌っていたんだけどな、とつい私は思ってしまいました。
 私は、メリッサ・クニヨシという日系ブラジル人の少女にケチをつける気は毛頭ありません。それどころか、その少女の『ハナミズキ』を聴いて、何でこんなに上手く歌えるのだろうと思ったくらいです。本人歌唱と比べてみるとわかるのですが、発声法からしてまったく違います。現在日本の歌手のほとんどは、洋楽の発声法をしています。しかし、私がその少女を動画で視聴した限りにおいては、それは和楽の発声法なのです。例えば、声が裏返ったりして、それを喉でころころ転がすようにして声を出す、というような芸当は、洋楽の発声法には無い、と言われています。
 そうした発声法は、和楽の長唄・小唄の歌われ方にあるそうです。それが出来た日本の歌手は、過去にあの美空ひばりさんがいらしたくらいです。実は、そのメリッサ・クニヨシという少女は『美空ひばりの再来』とも呼ばれているそうです。道理で演歌に似ているようで、演歌を歌う人とはちょっと違う感じなはずでした。
 このように私はたまたまYouTubeを視聴して、いろんな『ハナミズキ』に出会うことが出来ました。ちょっとはまってしまって、夜ふかししてしまったり、気分が良くてうたた寝をしてしまいました。でも、ちょっとばかし勉強にもなったようでした。