インターネット上の責任を考えてみる

 実は私は、インターネット上でどうしても主張できない意見を持っていました。今まで、そのことをネット上で公表したことはありません。私の本音としては「インターネットの使用は18歳未満お断り」が根本的な解決法だと思えたのですが、今となっては実現不可能な意見になってしまいました。インターネットが世界的にも、日本でもこれほど普及してしまっては、私の持論は机上の空論か、非常識なへ理屈とみなされても仕方がないと思いました。
 アダルトサイトを子供が見てしまうなどの問題が起こると、どうしても「インターネットは18歳未満お断りにするべきではないか。」と私は思わざるおえませんでした。幸いなことに私が未成年の頃には、現在のようにインターネットが世界中に普及していませんでした。二十歳になって初めてマイクロ・コンピュータに触った私は、この新しいテクノロジーを(うわべだけではありますが)それほど苦労することなく吸収してしまいました。ですから、小さい子供の頃からパソコンや携帯電話などに慣れ親しんでいなければ、日本は世界に遅れてしまうなどという考えが、私にはどうしても理解できませんでした。そうしないと、ビル・ゲイツのような成功者が日本で誕生できない、と私は聞いたことがあります。私は、日本でたった一人のビル・ゲイツが生まれることよりも、インターネットのもたらす生活環境の変化で苦痛を味わう人が増えることが問題になるのではないかと思っていました。
 私が二十代の頃には、若者向けにパソコン通信があって、アイドルの顔に裸の体をくっつけた合成写真にだまされて、そのアイドルのファンがその写真を見て真剣に悩んでいました。コンピュータ上の情報(データ)全てが本物(もしくは、真実)とは限らないことを、私はこの頃すでに知っていました。つまり、コンピュータやインターネットはどんなに便利であっても万能ではありません。
 大人としての責任が無ければ、大変なことになるものの一つなのです。インターネットを使うということは、喫煙や飲酒と同じではないか。どんなに世界に遅れをとりたくないとは言っても、未成年にはちょっと荷が重いのではないか、と当時コンピュータ技術者だった私は思っていました。本音はそうだったのですが、まわりが、と言うよりグローバリズムグローバル化)の波で世界中が、インターネットが使えないと生きる資格が無いような傾向になってきて、私はこの本音を隠すしかありませんでした。
 やはりそうなると、インターネット上で起こした子供のトラブルは、大人が何らかの形でその責任をとらなければならないでしょう。その大人が、コンピュータやインターネットの知識が有るか無いかにかかわらず、もしくは、それらに関心が有るか無いかにかかわらず、何らかの責任を子供の代わりにとらざるおえないと思います。