現在、小学生の学習指導要領に、英語とコンピュータ・プログラミングが加えられて画期的なことだと広く言われています。しかし、私の考えはちょっと違います。私は、少し前から『東大ナゾトレ』のことを高く評価しています。現行の英語やコンピュータ・プログラミングよりも、その有益性(すなわち、その実用性と面白さの価値とコスパの良さ)が評価されて、いずれは学校教育の学習指導要領に加えられるべきだと一人勝手に信じています。
これまでの私は、小中高大の各学校でいろんな知識を学んできました。その学んだ知識を理解し記憶しているかどうかをテストされて、平均点以上の試験結果になることが多かったと思います。しかし、そんな私には、何時しか、学校で学んでいることに対して、こんな疑問を抱くことが多くなりました。私なりに学んだ知識や情報を、どうやったら現実の日常生活の中で活用できるのか、ということです。そのことが、私には、まったくわかりませんでした。
私の通っていた学校や教室では、そんな根本的なことをまったく教えてくれませんでした。勉強をして様々な知識を覚えることは、学業成績を上げたり、上の学校の試験に受かるためであり、それ以外の役に立つものではないと教えられてきました。つまり、学校を卒業して、最終的に社会に出ると、どれ一つとして役に立たない知識や情報になってしまうわけです。もっとも、次のようにも聞かされていました。すなわち、それまでに多くの知識を覚えていれば、世間では頭がいい人に見られて、やがて日本のエリートになれるなどと、周囲の家族や親せきから吹き込まれていました。
私が『東大ナゾトレ』の存在をテレビの某番組で知ることになったのは、そのような疑問と苦悩の長い時間を経た後の、つい最近のことでした。「予備的な知識がほとんどなくても、わずかな情報や知識を取り込んで、それを論理的に考え分析して、つまり、インプットした情報や知識を活用して、その法則性を見つけて解答に導く。」ということは、人間の科学的思考方法として至極大切なことです。数多くの知識や情報を丸暗記することが大切なのではなく、必要な知識や情報を実生活の場に合わせて活用できることが大切なのです。
そのような思考の応用力を身につけることが重要なことは、学校の先生からしばしば教えられてきました。しかし、それをどうやったら日常生活の中で実現できるのかを教えてもらったことは一度もありませんでした。だから、『東大ナゾトレ』出題者の松丸くんが、そんな私にとっては初めての恩人だったと言えます。
現在、その『ナゾトレ』自体は、未来の学習指導要領とするには、まだまだ体系化(システム化)された知識や情報(あるいは技法)とは言えないかもしれません。しかし、だからこそ、それをテレビから気軽に受けとれる私たち視聴者が、そのやり方を体感的かつ実践的に学んで身につけることに、大きな意味があると言えましょう。「そのようなことを、構えることなく身につけられるなんて、現代の日本人は何て幸せなことなのでしょう。」と、そのように私には思えて仕方がないのです。