居酒屋電車をテレビで知る

 今日の長野県中部は、降雪と積雪であたりが真っ白になっていました。私は、今日の外での作業をあきらめて、昼過ぎに家でテレビを見ていました。ふとNHKの番組で、福井鉄道の居酒屋電車のことを知りました。その赤字路線を克服するアイデアとして、『ゆれる居酒屋』を考え出したそうです。
 東京では、東京湾の屋形船が有名です。私も、小さな翻訳会社に勤めていた時に、その屋形船を会社の飲み会に利用した時がありました。屋形船などと言うと、贅沢な感じがするかもしれませんが、それなりのツテがあったようです。当時その手配をした営業マンの一人が、かつて某旅行会社の添乗員だったそうで、そういう方面に明るい人だったからです。屋形船は、舟なので東京湾の穏やかな波に少々ゆれました。でも、しばらく乗っているうちに慣れてきて、その水面をすぐ外に間近に見ながらも、舟が滑るような感じで動いていたのを今でも憶えています。
 福井鉄道の『ゆれる居酒屋』のアイデアをテレビで見て、私は東京湾の屋形船のことを思い出したのですが、もう一つ考えたことがあります。それは、去年廃線となった長野電鉄屋代線のことです。長野電鉄では、利用客が少なく鉄道経営の採算が取れないために、路線を廃止しました。しかし、線路を廃止するためには、かなりの費用がかかるために屋代線の線路自体をすべて撤去することはできない、との話でした。現時点では、屋代線の線路を活用して次世代型路面電車 (LRT) を走らせる構想もあるそうです。
 長野電鉄の場合も、観光地である松代への貸切り電車といった提案が過去にあったと聞いています。しかし、私の意見としては、それほど効果的ではなかったのではないか、と思います。なぜならば、母の実家が松代の荒神町(松代駅から松代温泉へ行く途中)にあって、松代駅前の風景が三十年以上過ぎてもほとんど変わっていないことを知っているからです。松代駅から海津城松代城)があった方角を見ると、私が小学生の時には、材木置き場と、崩れた城の石垣の一部しかありませんでした。その三十年後に、松代駅を訪ねてみると、そこにはスーパーマーケットや美術館ができていました。それを除くと、松代駅とその駅前の広い通りと建物は、時間が過ぎても全く変わっていないように見えました。
 古き良き時代の姿が変わっていなかったことは、素晴しいことには違いありません。何よりも、私がそう思っていました。しかし、そのために利用者が少なくなり、世の中の流れから見捨てられてしまうことになったのは残念なことです。私の母の話では、松代高校も現在ある場所よりも、ずっと松代駅の近くにあったそうです。その多くの生徒たちが、屋代線を利用していたのだそうです。
 そこで私は、採算度外視で、誠に身勝手ながらいろんなアイデアを考えてみることにしました。そのきっかけは、言うまでもありませんが、先に述べた福井鉄道の『居酒屋電車』です。その目的と実現方法の柔軟さに、私は刺激を受けました。長野県の場合も、利用者がどうしたら増えるのかをもっと考え、そのために利用したい人の気持ちをもっと考えなければいけないのでしょう。
 例えば、屋代駅と松代駅との間で線路の活用を空想(もしくは妄想)してみましょう。二番煎じの『居酒屋電車』もいいのかもしれませんが、電車の中で直売所をやってもいいかもしれません。その代わり、各駅で特産物(特徴のある農産物や加工品)が無いと失敗するかもしれません。千曲市の屋代と言えば『あんずの里』に近いので有名です。季節になると『あんずの里』は、あんずの木や花を見に訪れる人の車でいっぱいになります。その物産が、長野市街に近い松代で入手できたら(それほど大したことないかもしれませんが)いいかもしれません。
 私のノスタルジックな考え方で申し訳ありませんが、『峠の釜飯』みたいなものは、列車と切り離して考えると、購買意欲が減ってしまうのが事実だと思います。横川駅に列車が止まったとたんに、駅のプラットホームで釜飯の売り子さんが目に入ります。それを買いたい時は窓を開けて、売り子さんにお金を払って買っていた人がいました。列車が再び発進するまでに釜飯を入手するその緊張感というかスリルが、お客さんにとってはたまらないのです。
 普通の農産物直売所でもそうですが、生産者が持ってきたばかりの農産物をすぐに買うお客さんがいます。こんなこと言っては悪いとは思いますが、それはまるでお客さん本人だけの『お宝』を横取りするようなふうに、側(はた)からは見えました。
 もともと鉄道は、人や物などの輸送のために発達したものです。それを踏まえつつ、それとは別の価値観をプラスする発想が必要だと思います。上記の『移動する直売所』以外に、『移動する売店』とか『移動するレストラン』とか『移動するカフェ』といったものが当然考えられると思います。『道の駅』ならぬ『駅の道』として、その線路の活用を考えてみれば、更(さら)にもっと良いアイデアが浮かぶかもしれません。