地元で収穫したお米のおいしさの秘密

 去年収穫したお米で、くず米を食べ終わったので、精米した白米を久しぶりに食べてみました。やっぱり、おいしい。ちいさなフライパンで、さんまとかシャケを焼いておかずにして食べるのですが、やっぱりおいしい。去年収穫したものなので、新米ではありませんが、東京で生活していた頃よりも、ずっとおいしいお米を食べています。そこで、この一年間に東京の実家にも何回かお米を送りました。
 お米の保管は玄米でしていますが、今年が初めてだったので、保管が下手で一部をカビさせてしまいました。虫やネズミなどの動物対策や、湿度が高くなった場合のカビ対策を、今年は考えることにしました。
 実は、地元で収穫したお米のおいしさには秘密があります。秘密ですから、公には言えません。公表してしまっては、秘密でなくなってしまうからです。地元でお米を作る上で、どう考えてもお米がおいしくなる原因がいくつかあるのです。文字通り、食の安全・安心につながる要因なので、秘密を明かしてしまっては良くないと判断しました。
 長野米というブランドがありますが、私はそのブランドに頼らず、地元の直売所に『国内産未検査米』として売っています。高い価格で大量にお米を売っているわけではないので、ブランドに頼らなくても、食べておいしいと感じた地元の人たちに買ってもらっています。地元のお米のおいしさは、おそらくブランドというレッテルには表れていない部分だと思います。
 それよりも問題は、私が東京で生活していた頃にありました。私の家では、お米屋さんからお米を買っていました。私の母は、変なお米を買わないよう昔から気にしていたようですが、お米の価格が自由化されるまで、私の家では、茶碗一杯で胃のもたれるようなお米を食べていました。私は、『お米アレルギー』なのかなと思うくらい、ご飯がまずくて、お米が嫌いでした。胃がもたれるのは私だけかと思ったら、家族みんながそうでした。お米の価格が自由化されてからは、なぜかご飯がおいしく感じられるようになりました。ご飯をいくら食べても、胃にもたれなくなりました。
 何が変わったのか、何が原因だったのかは、今になってみれば、およそ察しがつきます。しかし、食べてしまったものは、証拠に残りません。よって、それも公に言うことのできない秘密になってしまいました。食の安全・安心について考えるための貴重な経験をしたのだと、私は不幸な過去を納得することにしました。