私の本業 食べられる作品?! その1

 先日JAの若い担当者から、市場に出荷した今年の私の玉レタスの評価を聞きました。意外にも評判が良かったので、内心驚いてはいましたが、ほっとしました。きっとほかの産地が遅れて品薄状態が続いてくれたおかげもあったのでしょう。例年収穫の半ば頃から下がってしまうレタスの市場価格が、今年は下がりませんでした。私の所のレタスの出荷量は例年通りでしたから、10日も収穫開始日が遅れたとはいえ、損はしなかったと思います。大もうけをしなくても、損失を出さないことがこの仕事では大切なのです。
 ちょっと横道にそれますが、そのJAの若い担当者はすごいイケメンです。背は私よりも高くありませんが、女性に絶対もてそうで、うらやましいです。私なんかは、女性にもてたことが実感としてないので、若い頃から真面目に仕事をしてきたのに不公平だな、と時々思います。私のことをカッコいいとか好きだとか言ってくれる女性はおそらく今まで一人もいなかったと思います。バレンタインデーのチョコなど一度ももらったことがない。世の中おかしいと、個人的にずっと思っていました。
 「真面目に仕事をしていれば、きっといい人(女性)がついてくるよ。」という両親の言葉を信じていたのが悪かった。20代、30代、40代と真面目にやってきて、実際一人もついてこなかったので、その言葉がウソだとわかりました。ウソだとわかった瞬間から、私は、親の言うことでその場で不利益になると判断できることは全て信用しなくなりました。親がなんと言おうと、反対して従わなくなりました。親の言うことに従って親を安心させることは、本当の親孝行ではないことを、やっと自分なりに理解できたのだと思います。今さら母から「親だって神様じゃないから。」なんて言われても、遅いです。私は親を神様としてではなく、人生の先輩として尊敬していたのであり、後で責任の持てないことを言われるくらいならば言って欲しくはありませんでした。
 しかしながら、私の側にも責任はあるでしょう。「真面目に仕事をする」ことと、「ついてきてくれるようないい人(女性)が見つかる」こととの間には、関係がないことを見抜けなかった。第一、「真面目に仕事をする」ことは、女性にもてるためでも何でもなく、自分自身のためにすぎないのです。また、「いいひとが自分についてくる」という考えも、非現実的です。そんなことを女性に期待する男性は、時代遅れではないかと今の私ならば考えます。さらに、私は、子供に対する親の不安な気持ちがどれほど深いものかを知らなかった。親とは子供を心配する生き物であり、自らの不安を解消するために出まかせでもウソを言ってしまうことを、私は知りませんでした。
 でも、そのイケメンの彼は、まわりのみんなが知っていますが、奥さんがいます。現実とは、そういうものなのです。ちなみにもう一例言っちゃいますが、私が作物を出荷している近くの直売所に、八重歯のかわいい売り子さんがいますが、彼女も旦那さんがいます。そのことを知らずに後で面倒に巻き込まれるおじいさん方(きっと寂しいのでしょう。)が後を絶ちません。私は、この土地ではよそ者であり、独身者でもあるので、こうした情報収集をきちんとやって、そうした面倒なこと(女性に関するトラブル)に巻き込まれないように、毎日気をつけています。
 だいぶ横道にそれました。JAを通じて市場に出荷された私の玉レタスはどう評価されたのか。市場の担当者からの意見は、「レタスの巻きがいいね。」の一言だったそうです。玉レタスの巻きがいいと何がいいのか。レタスの葉っぱを一枚一枚はがしていくと、かなりの量に膨れ上がります。一回り小さなレタスのように見えても、食べでがある。それを買って、食べた人が得をするというわけです。
 さらにまた、畑にじかに買いに来た人の話を後日うわさで聞いたのですが、「ビニールハウスの中で育っているからうまくないかと思っていたが、食べてみたらおいしかった。」とのことでした。地元の人たちの意見として、温室育ちの野菜はまずい、と一般的に言われています。でも、私の使っているビニールハウスは温室ではありませんし、屋外が氷点下になれば、ハウス内のレタスの葉っぱが凍って透き通ってしまうくらい寒いのです。
 毎年私は、レタスの出荷時期を前倒しにするために、寒い時期からレタスの栽培を始めます。がしかし、寒さのせいでレタスの成長が進まず、痛い目を見ることが多いのです。今年もまた、例年よりも寒い日が多くて、玉が大きくならないのを心配していました。ところが、今年は、水分補給の仕方などほかの栽培条件を改善したおかげで、そんな寒さがかえってプラスに働いて、レタスの葉っぱの巻きを良くしたようなのです。
 もともと私が作物を栽培している畑は、海抜600m近くの高さにあります。山の中ではなく、すぐ横の舗装道路に大きなトラックや乗用車が頻繁に行き来しているような場所にあります。車で5分もあれば上田市街地に行ける場所にあります。過去にいろんな経緯があって、地元の人たちが見捨ててしまった畑です。そんなではありますが、飛散した石ころやビニールやプラスチックの破片を毎年拾っていくうちに、少しずつ使える畑としてよみがえりつつあります。もともとは、おいしい高原野菜ができる場所なのです。直売所へ買いに来た人たちが、「こんな近所で、こんなしっかりした、おいしい野菜を作っているのか!」とびっくりしてくれるようなものを作るのが楽しみでもあるのです。
 比較的安い価格で、その現物を見て安心して買ってもらい、食べてもらい、楽しんでもらい、感じ入ってもらう。つまり、買ってもらった人の、心と体の両方の糧になってもらうとよいのでは、と私は思うのです。食べた人が、心も体も両方元気になってくれるといいと思うのです。その意味で、私にとっての農産物は『食べられる作品』なのではないかと、最近思うようになりました。