極寒をしのぐ追加の一着

 今から2週間少し前が冬至でした。地球上では、一年のうちで最も昼間の時間が短い冬至と、『寒さの底』と言われる冬の時期との間には、いわゆるタイムラグがあるのが普通です。ちなみに、今年のお正月3ヶ日と1月4日は、私の地元では、日中早くも陽射しの強い晴天続きでした。
 しかし、その4日間は空気が寒くて、私はずっと部屋にこもって、どこへも外出しませんでした。屋内でもかなり寒かったので、なるべく布団に潜(もぐ)って休んでいました。まるで、感染症にかかって自己隔離していたかの印象ですが、そんなことはなく、体に悪寒などはありませんでした。ただし、昨今のテレビで火事のニュースが時々あったので、それを警戒して、室内暖房に頼らないように気をつけていました。そのため、部屋の中が寒くて、(大袈裟かもしれませんが)凍死しないように、しっかり毛布を被(かぶ)って布団の中に潜っていたのです。
 その4日間の食事については、大晦日に買っておいた魚、挽肉、玉子やレタス、福神漬け(赤色の少ないもの)などを調理して食べていました。十分休養できたそのおかげでしょうか、1月5日(水曜日)には、地元の農産物直売所へお米を出荷してきましたが、体調を悪くすることなく楽にその準備作業ができました。その翌日は、東京で雪が降って何センチか積ったそうですが、私のいる地元では、南岸低気圧の影響をそれほど受けなくて、一日のほとんどが曇り空でした。
 今日このごろのそんな朝、私は布団から出ようとして、周りが一層寒いことに気がつきました。いわゆる冬至からのタイムラグで、(あるいは、テレビの天気予報を観ている影響もあって)本格的な冬の寒さの底に近づいたと知りました。そこで、どうしようかと考えたのですが、私にとって最も大切なのは火の用心です。そこで、暖房器具の熱量に頼る以外の方法を考えてみましたら、現代の物質文明にぴったりの手段を見つけました。部屋じゅうを見回してみると、中古(ちゅうぶる)の、もらい物の衣服の蓄(たくわ)えが少なからずありました。つまり、さらに一着、衣服を追加して、それを体にまとう、という手段を見つけたのです。
 長袖の上着をさらに着れば、両手首が冷えにくくなりました。私は、首が少し長いので、首元が冷えやすい。通常、屋内でマフラーを一本だけ首に巻いています。そこにも、さらに別のマフラーやタオルを巻いてみました。首と首元が温かくなって、気持ちよくなりました。それと同じ要領で、ズボンももう一本はいて、重ねばきしてみましたら、下半身が温かくなりました。さらに、靴下も二重ばきにしてみたら、足首の冷えも防ぐことができることを知りました。それでも、寒さが感じられる場合は、さらなる衣服の追加で、もう一着、体にまとうことを考えればいいと、考えました。発想としては、現代の『十二単衣(ひとえ)』みたいなものですが、古着の有効活用につながって、そんなに貧乏臭い話ではないように思えました。吐く息が白く見えても、体に暖かさを感じるというのは、ちょっと不思議な気がしました。(もちろん、懐炉(カイロ)を使うという手なども悪くはないと思います。)
 靴下の二重ばきに関しては、もう一つメリットがあったと記憶しています。今年の夏に、私は、収穫したきゅうりの箱詰めをする作業場で、作業台を高くして、きゅうりの箱詰め作業を立ち仕事でできるように改良しました。これまでは畳の上に座って、きゅうりの箱詰め作業をしていたのですが、前のめりになって姿勢が悪くなっていました。それを立ったまま作業ができるようになると、よりよい体の姿勢で作業の能率が上がったのですが、夏特有の別の問題が発生しました。靴下をはいた両足が、蚊に刺されることが多くなりました。靴下の糸と糸の隙間に、蚊が口先の針を突き刺してくるのです。そこで、私は、両足の靴下を2枚ずつはいてみました。すると、蚊に刺されなくなりました。たとえそこに蚊がひっついて口先の針を伸ばしても、二重ばきの靴下の厚さのために、その針が私の皮膚には届きませんでした。それで、私は、作業中に蚊に刺される心配がなくなって、きゅうりの箱詰め作業に専念することができるようになりました。
 この夏の私は、そんなふうにちょっとした工夫で、比較的大きな成果を得る経験をすることができました。そんなふうな調子の延長で、今回の極寒をしのぐ手段の一つも、再発見できたわけです。生活上のそうした工夫を考えてみるのは、いつでも楽しいものです。でも、そうしたことは、日々の生活や、他人との付き合いなどに時間を追われていると、なかなかできないものです。そこで、一人になって、ふと、空白の時間などができましたら、そのようなことに興味を向けてみるのです。そうすることによって、ちょっとだけでも有意義なことを発見できるのかもしれません。