勝手に妄想Go To 学習キャンペーン

 先日、地元の某小学校の1学期の終業式がテレビの取材を受けていました。教室での児童たちは、こんな言葉からこの短い1学期を振り返りました。「新型コロナウィルスは恐ろしい病気です。(以下略)」

 私は、そんな地元のテレビのニュース番組を視聴して、「あれっ?」と思いました。まず第一に、新型コロナウィルスは病気ではありません。感染症を引き起こしますが(つまり、風邪症状や発熱症状を伴いますが)、伝染病ではありません。肺炎や血栓を併発しますが、むしろ病気は肺炎や血栓のほうです。PCR検査が陽性から陰性になったとしても、肺炎や血栓が直ったり、健康になるわけではありません。

 私がわざわざこんなことを書くのは、世間一般の常識や通念が『出口の見えない、厄介な流行り病』程度だと知っているからです。「新型コロナは恐ろしい病気」とみんなが口をそろえて言ったとしても、その国語表現はメタファー(隠喩)であり、大人が間違ったことを教えているわけではないと、私は考えます。私は、一字一句を生活の糧にして、世間との意識の乖離(かいり)に悩む純文学小説家ではありませんから、それを苦にして世間からおさらばする必要もありません。私が、小説家を職業に選ばなかったのは、かくなる理由があったからです。

 でも、もしも私が、彼ら児童の立場だったり、それを指導する先生の立場だったとしたならば、上の一文は、こんなふうに言い換えると思います。「新型コロナウィルスの影響で、世の中の多くの人たちが迷惑をかけられて苦しんでいます。」もちろん、これは、「一番悪いのは、新型コロナウィルスだ。」という世間一般の考えと一致しているものと、私は考えています。

 もっとも、本当のことを申しますと、このウィルス自体にも罪はありません。ここに、私たちの厳罰化主義、すなわち、「何でも厳罰化して事態を解決しようとすること」の盲点と限界があります。何かを厳罰化しようにも、厳罰化できない。それが、人々のイラつきや不安や誹謗中傷の正体です。

 最近、テレビのニュースあるいはニュース情報番組で、「東京から青森に帰省したところ、非難の内容が書かれた1枚の紙切れが、玄関先に投げ込まれていた」というニュースがありました。いろいろなコメントや反響があったので、私も興味をそそられました。ひどいことをしたとはいえ、それをしてしまったのは、ごく普通の人だと、私は思いました。帰省した60代の人はPCR検査を2回受けて陰性だったそうですが、それでも、そのごく普通の誰かは、納得しないと思います。帰省した人の体がPCR検査で陰性であろうと陽性であろうと、つまり、新型コロナウィルスに感染していようといまいと、本当は関係ありません。そのウィルスを帰省の際に『地元に持ち込んでほしくない』というだけのことです。

 しかしながら、そのような考えも、ちょっと変なのかもしれません。『with コロナ』という言葉を忘れているような気がします。あるいは、『新型コロナウィルスとの共生』という言葉の意味が、まだ理解できていないということだと思います。試しに、誹謗中傷してしまった人の身近なところから、検体を採取して、PCR検査にかけてみましょう。おそらく、新型コロナウィルスあるいはその残骸が検出されるはずです。その時点で、即座に『地元にウィルスを持ち込むな。』という主張はアウトになります。

 私がなぜこんなことを申しているのかの、その根拠をこれから示します。今年の4月の上旬と下旬の2回、ちょうどその間に国内では緊急事態宣言が出た頃、私は、発熱症状を経験しました。その頃に、地元のスーパーマーケットやコンビニや農産物直売所に出かけたのですが、風邪症状や具合の悪くなった人たちを周りで少なからず目撃しました。そして、その頃から現在に至るまで、そのような地元のスーパーマーケットやコンビニや農産物直売所では、感染症予防対策のためのさまざまな取り組みがされるようになりました。店頭のガラスの張り紙を見ても、さまざまなお願いが書かれています。「入店の際にはマスクの着用をお願いします。」「手をアルコール消毒液で消毒してください。」「昼と夕方の混雑する時間を避けて、来店してください。」等々、こと細かく書かれています。

 お店のレジに行っても、皆さんの既にご存知の光景が見られます。4月の緊急事態宣言の前後からずっと、このようなことが地元のあちこちで続いているのが事実です。もはや、「県外から地元にウィルスを持ち込むな。」という主張だけでは、世の中は空回りするだけのようです。そのような主張は、今では形骸化してしまった感じすらします。

 そこで、私の提案なのですが、帰省された人には、是非とも地元のスーパーマーケットやコンビニや農産物直売所などを訪れていただいて、さまざまな感染症予防対策がとられていることを視察・学習してほしいと思います。そのようなことは、決してムダにはならないと思います。