『走れメロス』で文学散歩

 「(略)ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」
 「なに、何をおっしゃる」
 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」
  メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。


 これは、太宰治著『走れメロス』という小説本文から引用した一場面です。そのような暴君のような振る舞いをする人間は、いつの時代でもいらっしゃるものです。友情だの、正直だの、平和だの、議会だの、選挙だの、民主主義だの、人権だの、人道だの、そんなものはこの世では、うわべだけのものにすぎない。そんなものにうつつを抜かしている者の気が知れない。むしろ、嘘でもいいから、そのような言葉を世間で軽く吹聴して、ずるく利用したほうが利口だ。「人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。」と、その王は、権力を笠に着てそこまで考えていると、この小説では描かれています。
 そのような王の残虐な気持ちを理解した上で、この小説の場面では、もう一つ重要なことが描かれていることに注目したいものです。王のその言葉を聞いて口惜(くや)しくて地団駄(じだんだ)踏んだメロスの内面についてです。もし仮に、メロスの心の中に、人間としての弱さがひとかけらも無かったならば、口惜しく思うことも、地団駄踏むことも無かったわけです。「メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。」と本文にもあるように、彼は、普通の人間であり、超人なんかではありません。だから、その本心の痛いところを突かれて、その王の言葉に我慢がならなかったわけです。王の言うとおりにすれば、彼自身の命は救われます。しかし、友や世間を裏切ることになる。いわゆる青春の葛藤として、人間の弱さと人道との間を行ったり来たりしているのです。
 さて、『文学散歩』などというと、普通は、物語の舞台となった場所を訪問して、そこを見学して紹介をするものです。けれども、ちょっとその常識の視点を変えて、人間の心をあちこち巡ってみるのも面白いと思うのです。心理学では、科学的な客観性が先に立って、感情的な側面がとかく後回しになりがちです。だが、多くの人々が知って理解したいことは、日常的な『あるある性』にあります。
 各人は、それによって、今の自身の立ち位置とか気持ちとかを確認するのです。つまり、文学作品を読むことなどによって、いわゆる『心の散歩』を試みることができます。そのようにして、心の糧とか慰みとかを得ておくことは、いずれ現実に役立ちます。思ってもみなかった現実、すなわち、いわゆる異例の事態に直面した時に、何らかの助けや救いを与えてくれさえします。と、そんなふうに私は考えています。いかがなものでしょうか。

感染症対策必要なう

 今回の私のブログ記事タイトルはSNS風にしてみました。わけのわからない自信と余裕に満ちているかもしれません。現在私の住んでいる長野県でも、「新型コロナウィルス新規感染者数が日々増えているのに、何事だ!」とお怒りの人もおられるかもしれませんが、ワクチンの3回目接種から今ちょうどいいタイミングになって、日々気をつけてもいる私は意外と無事です。
 テレビの某番組を観ていたところ、「新型コロナウィルスは次々と変異していくので、引き続きマスクの着用、手洗い、密集注意などの感染対策をお願いします。」と、やや口早でアナウンスされていました。それを聞いて、とっさに私は、あれっ?と思いました。ウィルスの変異に対応して適切な手段に変えなくていいのかな、と思いました。
 そのようなアナウンスでは、「ウィルスが変異しているのに、人間の側が、今までのやり方をいつまでも変化させなくていいのだろうか。」と多くの人に疑問を抱かせてしまうかもしれません。もう、どうでもいいやと、これまでの対策に不信を抱いて、これまでやってきた努力を放棄してしまうかもしれません。すなわち、そのようなアナウンスは説得力に欠けていると思いました。余計なお節介かもしれませんが、「新型コロナウィルスは次々と変異して生き残ろうとしているので、それを邪魔するために是非とも、引き続きマスクの着用、手洗い、密集注意などの感染対策をお願いします。」というふうに、戦略的に説明をしたほうが、効果があると思いました。
 私は、どんなにPCR検査や抗原検査をやって、スクリーニングをしても、それがウィルスの感染を100%封じ込めできるとは思ってはいません。エアロゾル感染は、空間的にも時間的にも、人間のできうる管理体制をはるかに超えていると考えられるからです。ただし、感染症拡大をモニタリングできることに関しては、それらの検査は、現代的で最先端のツールだと思います。
 よって、総合的には、現時点の日本では、感染症対策の遅れというものはそれほど感じられないと思います。今を生きる一人一人の意識としては、日々、感染症に向き合うことが大切です。どうでもいいやと放棄しなければ、いいのです。安直な結論で申しわけありませんが、そうすれば、新たな日常に不安を抱くこともなくなる、と私は思いました。

 

映画『二百三高地』に観る人道危機について

 私は、1980年に日本で上映されたこの映画を、ロシアの方々に観ていただいて「これは全部ウソだ。これは映画だ。ねつ造したフェイク画像だ。」と言って欲しいと思いました。まさに、観ての通り、その通りです。『世界最強ロシアvs.弱小明治日本』という劇場版予告編のテロップを見てもわかるように、この日本映画は、難攻不落と呼ばれたロシア軍の旅順要塞を、旧日本軍が多大の犠牲を払った末に攻略した、日露戦争のお話です。
 歴史の教科書などを見ても、「日露戦争は、帝政ロシア租借地・旅順を占領し、さらにバルチック艦隊日本海海戦で破って日本が勝利した。」などと書かれていました。確かに、当時の日本国民の多くは戦勝気分を味わって歓喜・熱狂したことでしょう。しかし、その裏で、取り返しのつかない極悪非道と遭遇し、その苦しみと悲しみの数々があったことなどは、教科書のどこにも書かれていません。この戦争映画は、史実をはるかに超えるその苦しみと悲しみを、日本人の観客に感じさせて、胸を痛くさせて考えさせる映画でした。
 この映画『二百三高地』の最大の見どころは、ロシア軍やロシア兵からの残忍な戦術とだまし討ちに遭(あ)って、むごい死傷を被る日本軍や日本兵の惨劇だと思います。そのような残虐非道さが戦争だとロシア国から学んでしまったことが、その後の満州事変や日中戦争における旧日本軍やその兵による残虐非道さにつながっているのではないか、という恐ろしい懸念を抱かせます。旧日本軍の残虐さを主張される反日の方々は、そのように東アジアの大問題を深く探究し検証されているのでしょうか。そのようなことを、私はあえて問いたいと思いました。
 この映画の劇中のセリフの一部を引用いたします。それは、乃木将軍を前にしての、下士官からの直訴あるいは告白という形で伝えられます。「最前線の兵には、体面も規約もありません。あるものは生きるか死ぬか…。それだけです。兵たちは、…死んでゆく兵たちには、国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは、いっさい無縁です。灼熱地獄の底で、鬼となって焼かれていく苦痛があるだけがです。その苦痛を…部下たちの苦痛を、乃木指揮の軍人精神で救えるがですか。(略)…、前線に立つ者が死ぬ運命にあるのは、当然だと申し上げておるのです。それなのに、部下やご令息を死地に駆り立てながら、敵兵に対して人道を守れと命ずる軍司令官(つまり、乃木将軍)のお考えは、自分には理解できんがです。」と、その下士官は怒りと涙でぼろぼろになって訴えるのです。
 もちろん、日露戦争は、幸いにも戦闘に民間人を巻き込まなかった、兵対兵の戦いとなりました。しかし、旅順要塞をめぐるその戦いは、いわば白兵戦として、言い換えれば肉弾戦として、多くの兵たちがその犠牲となりました。彼らの一人一人に家族がいて、その悲しみもこの映画では描かれます。つまり、死んだ人は二度と生きては帰って来ないのです。そのような惨状を訴えるかのように、さだまさしさんの『防人の詩(さきもりのうた)』が流れます。尋常ならざる苦しみや悲しみが、この楽曲を通じて観客に伝えられます。
 もう、これは、国家のトップが世界的な制裁を受けるだけでは済まされない、人道の危機があるように、私には思えて仕方がないのです。人類の歴史を振り返ってみても、度重なる争乱の中から哲学や宗教が生まれてきたような国もあります。すなわち、何らかの方策や知恵が生まれ育っていかないと、核などの大量破壊兵器の問題も、さらなる戦争の悲劇も、悪化の一途をたどってしまいます。戦争が早く終わればいいというのは、願望としては立派かもしれませんが、根本的なことが解決されていないと、終わりの始まりにすぎなくなってしまうものです。おそらく、次なる惨事は、もっと酷(ひど)いことになっているかもしれません。

他人から恨みを買ってはいけない

 今からちょうど50年前、浅間山荘事件を、東京の自宅のお茶の間のテレビで観ていた頃の私は、まだ小学校の高学年でした。私の祖父母と母は長野県出身者で、父は本籍地が長野県でした。私は、東京生まれの東京育ちでしたが、彼らと一緒にそのテレビ中継を観ていました。そして、連合赤軍の一人が『坂東國男』という名であると、ニュースで報じられると、私の名前が『国男』なので、将来あんな若者に育ったらエラいことになる、と彼らにとがめられたことをよく憶えています。そもそも私の名付け親は、私が生まれた当時は女子中学生だった私の叔母(祖父母の娘、父の妹)でした。当時の若者は、若いだけに学生運動に走りやすいと大人から見られていました。だから、あの連合赤軍の事件は、当時の日本社会に多大なショックを与えました。
 あれから50年、先日の3月9日(水)の夜の地元テレビ局でスペシャル番組『少年Aの告白 ~連合赤軍あさま山荘事件50年~』が放送されていました。あの事件で逮捕された当時の少年Aが、その後どんな半生を送ったのかを、現在の彼へのインタビューを通じて報じていました。また、警察関係者側からのインタビューも交えて、当時何がどうだったかを番組内では振り返っていました。
 元少年Aの告白によって、どういう意図であのような事件になってしまったのか、というナゾが解明されていきました。彼自身の証言によって明らかなことは、違法なことをしてしまったことを最も反省しているということです。しかし、彼自身にとっては「社会全体のために役立ちたい」という気持ちが終始一貫しているわけです。残念なことは、それが間違った正義に行ってしまったことです。そこに、彼自身の大きな反省があったわけです。
 一方、当時の警察関係者側の気持ちとしては、『警官射殺』ということが起きてしまったことに、どうしてそのようなことが起きたのかという疑問が提示されていました。そして、二度とそのようなことが起きてはならない、ということが現在の思いであると語られていました。
 私は、その『警官射殺』に至った事件の背景には、日本の戦時下の歴史や人間感情があったと推測しています。以前私は、戦時中に生まれ育った人(たまたまですが、その人も長野県で生まれ育った人)の話で、憲兵(当時の警察官)が街中で一番怖れられていた人たちだったと述べました。当時どんな理由があるにしても、彼らに目を付けられ、つかまったら最後、必ず暴力的なひどい目にあわされると言われていました。
 そのような事実の痕跡は、戦後の日本映画の中にも残っています。1982年に上映された『大日本帝国』という東映の映画を観るとわかります。終戦直後、憲兵あがりの横暴な態度の警察官に、庶民の女性の一人が啖呵(たんか)を切ります。この話は、戦時中に憲兵の横暴に恨みを抱いていた日本庶民にとっては、理解できる演出だったと思います。戦争が終わっても、憲兵から警官に名前が代わっただけで、その中身は同じで、治安維持の役割を引き継いだだけだったのです。
 そのようなことから、戦後庶民の抱いていた『恨み』の感情は、国家権力の象徴である警察組織に向けられました。そして、それに抗(あらが)う正義が、将来のある若者すなわち学生に教唆されたと考えられます。つまり、当時の日本社会が『学生運動』を社会的に容認していたのは、戦時下の治安維持を担っていた憲兵たちに対する『恨み』の感情があったからだと思います。
 しかし、浅間山荘事件の警官射殺や、その逮捕者の証言から明らかになった内ゲバすなわち集団リンチ事件によって、当時日本の大人たちの多くは目が覚めて、『学生運動』が間違った正義に導かれてしまったことを知ったのです。例えば、私の父親などは、大学に入学した私が『学生運動』という言葉をたった一度口にしただけで、三時間近く私を説教しました。「中核派だろうと何だろうと、あいつらは兵隊が欲しいだけなんだ。警察に捕まったら、どうするんだ。」という主旨で、延々と私は説教されました。
 そんな私の父はというと、少し人相が悪かったためか、路上でしばしば警察官に職務質問をされて、ぶるぶる震えて何も言えませんでした。すると、逆に、警察官にあらぬ腹を探られて、そのような沈黙が逆効果になることも多かったようです。ある日、トラックの兄(あん)ちゃんに後ろから車両をぶつけられた時も、現場にかけつけた警察官に状況を説明できずに黙っていたために、逆に一方的に交通違反のキップを切られたと、生前ぼやいていました。
 だから、子供の頃の私もまた、きちっとした制服に包まれた警察官を見たら、緊張して、道を避けて通るようにしていました。しかし、近頃の警察官は、私よりも年齢が若くて、服装も昔と比べてファッショナブルでかっこいいので、公務執行中の彼らの前での私は、緊張することもなければ、警戒することもなく、普通に応対することにしています。大人になって、交通違反職務質問で声をかけられることがあっても、冷静な態度で応ずれば、ムダに警戒する必要もないと私は思いました。
 これもまた、私の考えですが、警察官も学校教師も公務に携わっている地方公務員です。したがって、私たちが支払っている税金で運営されている、その集団組織を大切に思ってしかるべきだと思います。さらに、私の責任で言わせていただきますが、『恨み』など、とんでもない。他人を恨んだり、他人に恨まれたりしていたならば、きっと悪いことが起こるものです。そのようなことは、誰にだってありえます。いかなる場合でも、他人から恨みを買わないことが、一番です。それが、『二度とあってはならないこと』を起こさない一番の対策でもあると、私の責任で強く言いたいのです。
 ついでに、ひとこと言っておきます。仏教には、『因果応報』という言葉があります。「上の命令で仕方なくやった」とか「自らが生きるために仕方なくやった」とか「死人に口無しだから、バレるはずがない」とのたまっている、どこかの国の兵隊さんに忠告いたします。人として生きている限り、戦争犯罪は、いつか必ず何らかの形で報いを受けるということを、今のうちから覚悟しておいてください。

 

花冷え注意!!

 日中の気温も上がって、夜明けも早まって、花も咲き始めて、春も近づいて、蔓延防止措置も解除されて、さあ、活動を始めようとほとんどの皆様は思っていらっしゃることでしょう。感染症防止対策をとっていれば大丈夫ということに、妙な確信を持って見切り発車している人も多いと思います。しかし、この時期(4月前後)は、毎年のことですが、周りの環境が知らず知らず変化している時でもあります。私も、もう春だからといって、十分着込まないで、午前中から少し寒い場所にいました。すると、少しだけ風邪気味になりました。これはヤバいと思って、足を冷やさないようにして、床の中で休養していました。そのおかげで、風邪をこじらせることを防止しました。熱も出ませんでしたし、体調の異変も起きませんでした。(風邪こじらせ防止対策)
 思い返せば、二週間前に町医者さんへ3回目のワクチン接種に行きました。2月末に郵送で3回目の接種券が送られてきたのですが、今回は、接種会場と地元の町医者さんの完全予約制でした。前回(2回目)の接種を去年8月29日までに受けた64歳以下の人に、今回の接種券を郵送したとのことでした。今回はそういう条件の人から、ネットや電話で場所と時間を予約してもらうという仕組みでした。
 私の場合は、3月1日以降の予約が可能で、ネットの地元予約サイトにアクセスしてみました。すると、地元の人々の健康に対する意識が意外と高いこともあって、どこも予約がいっぱいという現実に直面しました。地元とはいえ、家から少し遠い3箇所の集団接種会場は、予約の埋まり具合が顕著で、1ヶ月先に取れる予約がありました。また、私が行きつけかかりつけのクリニックも、予約済みの日ばかりで、やっと予約できても3月末か4月初めになってしまうことがわかりました。
 あまりにも先の予約だと、忘れてしまう恐れがあるため、少しでも早く予約が取れて、しかも、比較的近所の町医者さんは無いものかと、探してみました。すると、私の行きつけかかりつけのクリニックから遠からぬところにある耳鼻咽喉科の町医者さんで、2週間後の予約が空いていました。それで予約しておいたところ、3月14日(前日)に予約確認の電話がありました。
 当日、その町医者さんに行って、モデルナ社のワクチンを打ってもらってきました。耳鼻咽喉科に通った経験のある人は知っていると思いますが、鼻アレルギーを抑える薬の注射は普通、筋肉注射です。だから、お医者さんの側は、それに慣れていらっしゃるので、ちゃんとやってくれます。また、ファイザー社のワクチンより接種する量が少ないので、接種する側もされる側もその点が楽だったと言えます。
 私の場合、1回目と2回目がファイザー社のワクチン接種でした。当初、混合接種がどうのこうのと巷で言われてましたが、薬の有効成分と添加物が化学的に違うだけで、どちらもmRNAワクチンで効く仕組みは同じだと思いました。だから、私には、その点に関しては、もともと問題ではありませんでした。人体実験などと言うと聞こえは悪いのですが、結局、自分自身の体で試してみたかった、実感してみたかったというのが、私の本心でした。少々、接種した肩の箇所の軽い筋肉痛が、ファイザー社のワクチンの時よりも持続している感じがしましたが、それはモデルナ社のワクチンを打った効果がより持続している証拠ではないかと推測して、かつ、そのように受け止めていました。
 以上、新型コロナウィルスワクチン接種のことを長々と書いてしまいましたが、それにはちょっと理由があります。そろそろ多くの皆様にわかってほしいと思うのですが、今回のワクチン接種を受けたからといって、普通の風邪にかかりにくくなったというアナウンスは何処のメディアからも発信されていないということです。普通の風邪コロナウィルスに感染するということは、残念ながら新型コロナウィルスに感染してもおかしくはない状況だということを、誰もが忘れています。感染症防止対策をとっていれば大丈夫という『うわべだけの安心感』は、残念ながら「科学は時として非情である。」ということを教えてくれます。だから、是非とも、この時期はお気をつけください。
 さらに思い返せば、私の場合は、今からちょうど2年前の4月の2日と19日に、いきなり体調が異常を起こして、その夜に原因不明のものすごい寝汗をかきました。いきなりの体調異常は、周りの動きがゆっくり見えて、私自身の動きもスローモーションのようになりました。肺の中に正体不明の病原体が入って、血中酸素が低下したことが原因だったようです。あの頃は私なりに対処してその危機を乗り切ったことを、私自身のブログ記事にも記録しました。また、それに続く5月頃から、周囲のいたるところで感染症対策が実施されるようになりました。それ以来、私は寝汗をかいたり高熱が出ていません。
 こうしたことから、この時期に一般に『花冷え』と呼ばれている、体の冷えには十分気をつける必要があると思います。ただ体が冷えるだけで、私たちの体は免疫機能が下がって、何らかの病原体の感染がしやすくなるものなのです。いくらワクチン接種をしたとしても、そのせっかくのプラスが、日頃の不注意でマイナスと相殺されてしまっては残念です。最近の私の地元や全国の新規感染者数の増加傾向をテレビなどで知って、私はそんなふうにその原因を考えてみました。あと、最近何か不安でよく眠れないという人も少なくないのではないかと思います。それもまた、私たちの体の免疫機能を低下させる一因になっているのかもしれません。皆様はどのように思っていることでしょうか、できれば聞いてみたいものです。

民主主義とはなんだ

 昔の日本テレビ系の青春ドラマ『青春とはなんだ』みたいなブログ記事タイトルですが、実はこのドラマの原作・原案は、あの石原慎太郎さんの同名小説でした。それはさておき、ここ最近私は、考えることがあるのです。このコロナ禍で、民主主義的政治や行政のモタモタした感じが批判されて、寡頭政治や独裁政治による行政執行が優れているように観られている傾向がありました。しかも、その傾向がおおかた無批判で、メディアにもそのようにアナウンスされていました。平たく言って、民主主義なんかこれからの人類にとって要らないのではないかと、すなわち、まどろっこしいチェック機能なんかすっ飛ばした、権力を集中させた強力なリーダーの命令による迅速な行政執行こそが、人類全体が望むことだと皆が考えがちになったようです。
 そんな時に、昨今の世界を見回してみると、一度動き出した軍隊や治安部隊や警察などを止められなくて、多くの人々があたふたしていることが観られます。あるいは、上からの命令で都合の悪い事実を民衆から隠さざるをえない、某国の国営テレビ放送局という組織も観られます。それらは、私たち人類の『残念な生き物』的側面だと言えましょう。国家権力というものがどういうものかを知らないで、シビリアン・コントロールとか国民主権というものがどういうものかを知らないで、いよいよわが身に危険が迫ってきて初めて、丸腰で命をかけて立ち向かいます。しかし、そのようにして歯向かったところで、誰もお陀仏になることはわかっているはずです。結局最後は、人はそれぞれ一人一人の弱い人間ですから、愛国者であろうとなかろうと、命乞いをしても消えていく運命にあると言えましょう。
 私が義務教育を受けていた頃は、いわゆる日教組の力が強い時代でした。ですから、社会科の歴史の授業があると、こんなことを社会科の先生がもらしていたのを聞き逃しませんでした。「死の商人がいるかぎり、この世から戦争はなくならない。」つまり、この世の裏世界では、人を殺戮する武器を売っている『死の商人』たちが暗躍していて、それを取り締まることは不可能です。それは、いかなる形態の政治・行政機構によっても不可能なのです。彼らからすれば、敵味方関係なく戦闘行為が続いてくれてさえすれば、商売繁盛なのです。すなわち、今がビジネスとしてのかきいれ時なのです。したがって、どんなに人々が戦争の犠牲になって、誰かが悲しもうとも憎しみをつのらせようとも、本当は何にもならない。あなたがたがその絶望感に絶えられないのならば…、その先にある答えは皆様もご存知のことだと思うので、私はあえてこの場では申しません。つまり、私が若い頃に学校教育で学ばされたことは、中身のない『うわべ』だけの反戦教育や平和教育あるいは愛国教育なんかではなくて、そのような現実的な人類の歴史についてでした。
 そもそも、国家権力の下にある組織というものは、善でも悪でもありません。一人一人の弱い人間である私たちが、何らかの強い力(強制力)を必要として作った機構(システム)です。また、軍隊にしても治安部隊にしても警察にしても、行政機構のすべては『上からの命令で動く組織』であることを多くの人々は学ぶべきです。その組織の中で、命令に従えない者、すなわち、命令違反をする者は、その組織を辞めなければなりません。(もっとも、某国の軍隊のように、辞めることすなわち収容所送りというところもありますが…。)
 ですから、(全体を俯瞰(ふかん)するならば)その国家の上層部の命令によって、その下部組織はいかようにも動くわけです。上からの命令が、正しく適正であれば、多くの人々の幸せに寄与します。逆に、それが不適切あれば、多くの人々がその犠牲を被ります。ただし、どちらにしても、私たち一人一人が弱い存在であることに変わりはありません。その『命令の組織』に抗(あらが)うことは、反戦運動であろうと自由や愛国心のための運動であろうと何であろうと、100%勝ち目はありません。それは、完全に無謀な抵抗です。
 そうした現実を踏まえて、何が一番大切かを結論だけ申し上げましょう。それに至る過程は、今を生きる人々が考え実行することなので、個人の私がどうしろとは申せません。でも、根本的なことは言えます。平和や自由を謳歌することが、民主主義の本質ではありません。それは、プロパガンダの一種にすぎません。平和や自由の前にあるべきものは、国家の強大な権力が独善的かつ間違った方向に行使されないことです。そのようなことを行使されないようにすることが、民主主義の本当の役割なのです。民主主義の下での、シビリアン・コントロールも、国民主権も、国政選挙も、憲法制定も、三権分立も、全てそのための仕組みなのです。そのようにして、そのことが皆に約束された上での、平和であり自由なのです。
 そのように考えてみると、日中戦争と太平洋戦争の敗戦で、日本国民が気づかされたことは、実はそのことだったわけです。忘れていた人は思い出してください。今まで知らなかった人は想像してみてください。シビリアン・コントロールとか国民主権が有効に機能しているから、様々な民衆の意向が反映されて、多少モタモタした感じはあるものの、取り返しのつかない方向へ道を誤ったり、リーダーや国家上層部の舵取りを誤らせないように前もって手を打てるわけです。最悪の事態に泥沼化しないように、「前もって手を打っている」と表現したほうが正しいのかもしれません。もちろん、民主主義という『イデオロギー』は大切ですが、その前に、私たちの『心』と『命』が大切なことは言うまでもありません。

今につながる過去を知ること

 最近テレビなどのメディアで、ロシアとウクライナとの武力闘争の結果に心を痛める日本国民も多くなったと思います。私なんかも、心を痛めております。しかし、それは主に別の理由からです。ロシア国民が国家の情報統制下に置かれたところから、もしかして、その未来に待っている運命は『あれ』ではないかと思うようになりました。
 軍隊の作戦中(戦時中)に、国家が国民の情報統制をするというのは、今回のロシアだけの話ではないのです。あのナチスドイツが、アウシュビッツ収容所で、まさかユダヤ人の大量虐殺を続けていたとは、ほとんどのドイツ人は知らなかったそうです。戦後しばらくたって、アウシュビッツ収容所に招待された、当時のことを知っていたはずのドイツ人のお爺さんお婆さんたちを前にして、この場所で行われた惨(むご)い事実が説明されました。その上で、当時のドイツ国民としての責任を問われると、彼らの誰もが、そんなことになっていたなんて全然知らなかった、と答えたそうです。やはり、当時の国家体制の責任ということに帰着する問題なのでしょうか。そうだと断定をするには、あまりにも釈然といたしません。本当に、それで決着したと片付けられない傷だらけの現実が、今も世界の至るところに残っています。
 その一つが、隣国の中国・韓国の人々の反日感情です。何だそんなの『感情』にすぎないじゃないかと思っている日本人の皆様に、私は伝えたいと思います。その感情を何とかすることが仮に将来できたとしても、過去の恨みの『物理的な痕跡』を相手に撤廃してもらうことは容易ではありません。今でも、私たち日本人は、相手の感情や心情なんかどうにかできると軽く視て生きています。けれども、残念ながら、それは「井の中の蛙」的な発想にすぎません。まず、そのことから気づいてほしいものです。
 私は、その『反日』のそもそもを考えてみることにしました。実は、今回のロシアや、過去のドイツだけではなく、かつての日本も同じことを経験したのではないのかと、私は考えて心が痛んだのです。今でこそ、旧日本軍部の大本営発表は、嘘情報の情報源で大したことなかったと言われていますが、それはあくまでも後世の日本人が付け加えたコメントにすぎません。当時の太平洋戦争戦時下に日本国民が情報統制されていたことは、後世に大きな負債を残すきっかけ(あるいは、致命的な原因)となったと思います。
 そのことは、以下のような事実があったことからも明らかです。戦後、日本国民は隣国の中国・韓国の人々から一連の戦争責任について問われました。なのに、私たち日本国民は、戦争責任と言われても、戦争犯罪と言われても、侵略戦争と言われても、直接関わっていない、知らなかったことにどう対処していいのかわからず、謝罪すらできませんでした。その日本国民一人一人にできないことを、現行の日本政府が代わってあの手この手で謝罪しました。けれども、近隣諸国の人々の本音としては、何で日本人は自らしたことを謝らないのだ、という不信感をつのらせていったわけです。
 戦時下の自国民への情報統制は、その体制や自国民に不利不都合なことは一切情報として伝えないと言われています。都合の悪いことをひた隠しにしてしまうのは、子孫への思いが強すぎるためとも言われています。また、万が一に戦争に負けてその責任をとらされる場合に、子々孫々が辱(はずかし)めを受けることに耐えられないから、という憶測もされています。しかし、ちゃんと考えてみればわかりますが、事実であろうと誤解であろうと、過去の過ちを黙認して直視できなければ、結局、その負債や辱(はずかし)めを受けるのは、その子々孫々の人々なのです。将来のその国家においては、その国民一人一人が迷惑を被るのです。そういった視点から『反日』を考えてみると、今を生きる私たち日本国民にとって、重要なことがわかると思います。敗戦に対する被害者意識だけでは、本当の戦争の理不尽さを十分に理解したことにはなっていなかったということです。その体験を風化させてはいけない、仕方がなかったとあきらめてはいけない、歴史認識が違うというだけでは済まされない、本当の理由があったのです。
 戦前・戦中の日本に生まれた人の話を、少し紹介しておきましょう。当時戦争に反対し兵役を拒否したり、非協力な者は『非国民』として扱われて、周りから白い目でみられていました。(つまり、そうなると、その人が何か困った時に誰も助けてくれません。)そういう『非国民』の人を日常的に取り締まっていたのは、憲兵つまり(今で言う)警察官でした。当時の人の話によると、彼ら警官が街中で一番怖かったそうです。どんな理由があるにしても、彼らに目を付けられ、つかまったら最後、必ず暴力的なひどい目にあわされると言われていました。
 繰り返しになるかもしれませんが、その当時『大本営発表』が、異国で行われていた戦争についての唯一の情報源でした。その唯一の情報源は、旧日本軍の軍部と日本国民にとって、不都合な情報は一切、伝えてくれませんでした。旧日本軍が各戦地で勝利し続けていると、ポツダム宣言を受け入れる前日まで全国民に伝えられていました。戦地に送られた日本兵が、本当はどんなことをしていたのか、ということは全く知らされていませんでした。当時の日本国民からすれば、その限られた情報源を信じるしかなかったのです。当時の体制を良く思っていなかったとしても、異国の戦地に出向いてがんばっている兵隊さんを応援するしかなかったのです。
 そのような国家の情報統制によって、当時の日本国民の視野が歪められていたことは、今となって考えてみると恐ろしいことです。その結果が、人類の歴史として、今の日本や世界の現状に続いていることを考えると、その恐ろしさは想像以上であると言えましょう。