その戦いは勝手に始まった

 すべてデマじゃないかと疑ってもらってかまいません。そのことを前提にして書き進めましょう。
 長野県では、「発熱等の風邪症状がある方は、外出を控えましょう。」と県庁のホームページに第一に書かれています。(これはデマではありません。)つまり、長野県では、風邪症状等で体調が悪かったら、無理に出歩かないで、自宅にいるように呼びかけられています。
 そんな折、私が長いことこれまでに経験したことのない『体調の異変』にはっきりと気付いたのは、先日の4月2日(木)の夜でした。その日は、日中北風の妙に強い日で、体の抵抗力が弱まっても仕方がない日でしたが、私は、人のいない場所で一人で農作業をしていました。けれども、体のだるさは感じなかったものの、何となく体の動きの鈍さを感じました。
 ところで、先月3月のカレンダーに記された行動歴を見ると、3月下旬に地元の農産物直売所とJA農産物の部会の2回の会合がありました。いずれも、みんなマスクをして、座る間隔も空けて、短時間で終わらせました。それでもリスクはゼロではないとはいえ、感染経路とは考えにくいと思いました。もちろん夜の街に行く習慣は私にはなくて、去年の12月中旬に忘年会の一次会に出席して以来一度もありません。それよりも、1日か2日おきに食べ物などの買い物に行って、その途中で一部で発生している市中感染(といっても、何も科学的証拠はありませんが)みたいなもので感染したかもしれないと疑ってみるほうが自然かもしれないと思いました。いずれにしても、いつどこで感染したかということよりも、何かの『体調の異変』を早めに自覚するほうが重要だと、私は考えました。
 咳やくしゃみや鼻水・鼻づまりや鼻声などの風邪症状がなく、食べ物を口にしても臭覚も味覚も普通に感じられるのに、その何となく体の動きが鈍くなっていると感じて、もしかしたら微熱があるかもしれないと思ったので、農作業を早めに切り上げて、ドラッグストアへ体温計を買いに行きました。ところが、マスクどころか体温計もすべて売り切れていました。地元の長野県の人たちの健康意識の高さに感心していましたが、代わりにお菓子を買ってお店の外に出ました。すると、強い風で指に挟んでいたレシートが飛んでしまいました。それを拾おうとして、今度は財布の口から釣銭がこぼれてしまいました。これは平時とは違う、明らかにおかしい、と私は思いました。
 晩飯を済まして、夜の8時前に血圧計で測定してみると、いつもより少しだけ血圧の値が上がっていましたが、私の場合それはそんなに珍しいことではありませんでした。最高血圧は140から150くらいで、最低血圧は90から100の間くらいでした。ところが、その時の心拍数が100を越えていたのが気になりました。いくら安静にして測りなおしても100以上の心拍数が測定されてしまいました。私の過去の測定記録によれば、そのように少し血圧が高い時は、心拍数が60から80の間で低くなっていたので、何らかの異変が起きているとわかりました。それが何だかわからないけれども、血圧値と心拍数のいつもの相関が見られないのは事実でした。それで、体の動きが鈍く感じられた原因は判明しました。
 心拍数が上がると、肺の呼吸数や呼吸量が上がるのが普通です。ちょうど、軽い駆けっこかマラソンをしている時のような心拍と呼吸になるはずです。ところが、その時の私の体は、呼吸数も呼吸量もいつもと同じで、心拍数だけが上がっているという異常な状態でした。次に私が考えることは、心拍数のみがなぜ上昇しているのかということでした。
 私は、その原因すなわち可能性をいくつか考えてみました。知らないうちにストレスをためて自律神経が失調してしまった可能性、あるいは、何らかの原因で血中酸素が不足してその需要不足から血中酸素をせっせと体内中に回さなければならなくなって心臓の動きが速くなったという可能性、そしてもう一つは、何かの病原体が呼吸器系のガードを通り抜けて体内に侵入して白血球などと戦いを始めてしまったという可能性でした。その3番目の可能性に関しては、サイレント・キラー(静かな見えない殺し屋)の可能性があって、とても油断ができませんでした。いずれにしても、体調の異変であることには変わりなく、何が本当の原因かはわからないにしても、その私の体が発している小さなサインに耳を傾けて、見逃さない必要に迫られました。
 ここで私は気が付いたのですが、体温計にしても、血圧計にしても、PCR検査にしても、結局目的は同じだったのです。すなわち、それらの検査の目的は、感染していないことの公認でも証明でもありません。その本当の目的は、今までの平時とは違う『体の異変』にいち早く(つまり早期に)気が付いて、自主的に自宅隔離とか絶対安静とかの手をすみやかに打つことだったのです。
 そうした体の異変が何らかの検査で早期に見つかって、早期に手を打てれば、重症化や容体急変はありえないかもしれない。というのが、科学的な考え方に基づく私の意見です。したがって、体温計などで必要な時に何度も簡易検査して、すぐ検査結果が出るということは、体の異変をとらえやすいという意味で、実は現段階で、最も理にかなった方法の一つと言えます。
 私の場合、次にどうしたら良いかは、すぐに決まって実行に移れました。日中は天気が良くて暖かくなってきましたが、明日からの農作業を含む一切の仕事はしばらく行わないことに決めました。現在一人暮しの私は、少なくとも心拍数の異状や寝汗やのどの軽いイガイガなど諸症状が改善するまでは自宅隔離と絶対安静を続けようと考えて、それをすぐ始めました。簡単に言うと、玄関のドアに内から鍵をかけて、布団の中にもぐり込んで、じっとしているだけなのでしたが、その夜のうちに発熱して、寝汗がひどくなってきました。長野県は東京都よりも標高差のために気温が5度低いため、布団をひっぺがして体を冷やしたら大変なので、それができませんでした。(長野県に、意味のない疎開をしている人は、特にこの『冷え』に気を付けてください。)そのうちトイレへ行きたくなったので、時計を見たらば4~5時間があっという間に過ぎていました。そんな状態を2、3回繰り返していたら、午前4時を過ぎていました。
 相変わらず、咳も鼻水も出ないし、扁桃腺も腫れないので、どこも痛くなかったのですが、どうしても、心拍数が多くなっていることで考えられる3番目の原因すなわち可能性、つまり、何かの病原体と体が戦っているという可能性を捨てきることができませんでした。午前4時まで眠れず意識があるうちは、このままサイレント・キラーにやられて命を失うかもしれないと本当は怯(おび)えていました。
 しかしながら、私の意識(つまり、心)とは無関係に、体が何らかの病原体と戦いを始めてしまった以上、それを止めることはできませんでした。何らかの病原体と私の体が戦って発熱しているその脇(わき)で、私の意識(つまり、心)はただぼーっと突っ立っているだけのようでした。私の意識(つまり、心)が唯一できることは、私の体が懸命に戦っていることを邪魔しないように、つまり、焦(あせ)ったり、じたばたしたり、パニックったりしないように、大人しくしていることしかありませんでした。
 それから約24時間、絶対安静のため、私はテレビもネットパソコンも電源を入れず、外からの情報をシャットアウトしました。すると、不思議なことに、疲れて眠ってしまった頭の中で、不思議な夢を見ていました。いつもは精神が不安定で口の悪い人が、急に神対応の一言を他者へ口にしていました。あるいは、中止になったパーティのデザートが無料でもらえるというので行ってみたら、きれいな大皿に真っ赤なスイカなどのカット・フルーツがあざやかに盛り付けてありました。かつてみたことのない精神的あるいは物質的に豊かに感じられる夢の内容でした。そうした内容を夢分析してわかることは、「やっぱし私の心は条件なしにこの世で生きていきたい」んだな、ということでした。補償されたお金がいくらあったとしても、わが身の命だけはどうしても買えないとわかっているのかもしれません。幸い、その約24時間後には、心拍数の上昇がおさまって、発熱や寝汗もおさまりました。
 実は、布団にもぐって安静にしながら、ある個人的な対処方法を思いついて実行していたのですが、その詳細については次回のブログ記事にゆずることに致します。約24時間の情報シャットアウト後にも、いろいろと対策を実行しました。例えば、かかりつけのクリニックに電話をかけて、日常治療のために服用している薬の追加の処方をしてもらうとか、10日後の歯医者さんの予約をキャンセルしてもらうとかも手持ちの携帯電話でしました。今の私は風邪のひき始めであり、地元のお医者さんに風邪をうつしたら大変なので、早めに対処しました。それ以外にも、打てる手は早めに打っておきましたが、それについてはまたの機会に述べたいと思います。いずれにしても、先日の発熱で、臓器の一部に若干のダメージがあったかもしれないので、ここ2、3日から1週間くらいは、大事を取る予定にしました。
 24時間、外からの情報を絶ってわかったことが、もう一つあります。誰にでも言えることですが、感染したからおしまい、というわけではないのです。発熱して、体が病原体と戦っている時にこそ、心を落ち着けて、安静にして、体を応援してあげることが大切なのです。(こんなこと小学生にだってできることですよ。大の大人や大学生が「感染したら、どうしたらいいかわからない。」なんて、恥ずかしいから言わないでください。)
 

 

 

言葉は一人歩きをするもの

 これから私が書こうとしていることが、単なるデマに終わってくれると嬉しいのですが、日々変わる状況を目の当たりにしているとそうとも言えないような気がします。とにかく先手を打って、藁(わら)をもすがりたい、という気持ちもよくわかります。いろんな方々の意見として、手遅れにならないよう、早く『緊急事態宣言』が出ないと安心できない、という気持ちもよくわかります。そうした意見に面と向かって反論するつもりは、私にはありません。ただ、それならばそれなりの覚悟を今のうちにしておいた方がよろしいかと思います。

 この切り札は、確かに実感を伴わない机上の考えでは、大したことが無いと思っている人が多いと思います。何ができるか、言葉の上で追う限りにおいては、「要請」や「指示」であって「強制」や「命令」でないので、大したことが無いとほとんどの日本国民が思っていると思います。しかし、このことは私の考えでは、『戦後日本の平和ボケ』ではないかと見ています。いくら世の中が民主化されたからといって、『国家権力』を甘く見てはいけません。『緊急事態宣言』が発令されれば、国民生活や国民経済に国家権力が介入するわけです。当然、そのことで日本国民は一時的には安心すると思われます。医療現場にも、街中にも、警察官や自衛隊員が人命救助を目的として、無条件でその職務を果たせるようになるので、これほど安心なことはないかもしれません。

 すなわち、『緊急事態宣言』発令後に、私たち日本国民に直接「要請」や「指示」をするのは、テレビの向こうの安倍首相でもなければ小池知事でもなく、目の前にいる警察官や自衛隊員だと、私は想像しています。それは、いかめしい防護服に身を包んだ相手かもしれないし、ガタガタ文句を言ったら手荒(てあら)に扱われる相手かもしれません。そんなことは脅しに過ぎないと思われるかもしれませんが、一応、今のうちに(ご自身の命を守るために)心の準備をしておいてください。

 

反面教師といたしましょう

 まず、私の高校時代の話をしましょう。私は、普通科高校3年生の時に選択科目の一つとして生物Ⅱを学びました。そこで、メンデルの法則とか、赤い目のショウジョウバエの世代別発生件数の統計的結果とかを学びました。そこで、優性遺伝子と劣性遺伝子のことを学んだのですが、数学的な統計や数値が当時の若い私には理解できなくて、退屈な授業となってしまいました。つまり、その統計的結果から、何も興味ある事柄を導き出せなかったのです。

 しかも、私の母方の先祖は、武士(あるいは、地方豪族)の家系であったため、いとこ同士の結婚がしばしばあって、時々、兎唇(みつくち)の子供が生まれてきた過去がありました。そのため、子供の頃から私は母から頻繁に「いとこの×××ちゃんと仲良くしてはいけません。」と諭されていました。兎唇(みつくち)の遺伝子は劣性遺伝子であり、その劣性遺伝子同士が結びつくと、兎唇(みつくち)の形質が子孫にあらわれやすいという、鋭い指摘を言い聞かされました。

 そのような指摘は、確かにごもっともであり、科学的にも明らかなことでした。けれども、私は、そうした説明に含まれた誤った考えに永い間、振り回されることとなりました。その間違っていた部分を、この私の今回のブログ記事で、公にさらけ出してしまおうと考えました。

 まず、優性遺伝子とは何なんでしょうか。メンデルの法則を説明した教科書によると、例えば次のように表現されています。「エンドウの種子で、しわのないものとあるものを交配すると、翌年はしわのないもののみが収穫されて、この種子をさらに翌年育てると、しわのないものが3、あるものが1の割合になった。」以上の文面から、優性の法則や分離の法則があることを示す、こうした実験は事実であり、何の間違いもありません。それでは、何が間違っていたのでしょうか。

 実は、そのことを受け取る(あるいは、学ぶ)側の私たちの理解が間違っていたのです。一般に、教科書などの図解で、しわのない種子は『きれいな色をした丸い形』に描かれ、しわのある種子は『きたない色をしたしわくちゃな形』に描かれています。それを見て私たちは、前者は優性遺伝子を持つ種子であり、後者は劣性遺伝子を持つ種子であると、パッと見のイメージで判断してしまうのです。わかりよいと言っちゃ、わかりよいのですが、それが全ての誤解の始まりなのです。

 メンデルの法則は、見た目のイメージではなくて、数値として理解するのが大切なのです。すなわち、「優性遺伝子の形質と劣性遺伝子の形質を持つ種子を交配すると、次の世代の優性・劣性遺伝子の形質は全て:0の比であらわれて、その次の世代の形質は3:1の比であらわれる。」というだけのことなのです。

 したがって、優性遺伝子とは、『優れた形質』の遺伝子という意味ではありません。と同時に、劣性遺伝子も、『劣った形質』の遺伝子という意味ではありません。両親双方から引き継いだ同じレベルの遺伝子のどちらかが子供の形質として優先されて、あるいは潜伏して、子供の形質にあらわれたり、あらわれない(隠れてしまう)かの違いだけなのです。

 あらわれやすい形質(つまり、優性遺伝子)を持つ両親から、あらわれにくい形質(劣性遺伝子)を持つ子供が生まれてくる数学的確率はゼロではありません。いわゆる「トンビがタカを生む」ということわざがあります。一般的に、突然変異の事象をあらわしているかのように言われています。しかし、メンデルの法則に沿って考えてみると、「トンビがタカを生む」その確率は、突然変異がおこる確率よりも、ずっと数値的に高いことがわかります。(もちろん、「トンビがタカを生む」はもののたとえです。ラジオの『こども相談室』なんかで「トンビからタカが生まれますか?」みたいな質問があったら大変なので、ひとこと述べておきます。私の持っている国語辞典によると、このことわざは「平凡な親に、優れた子供ができた時のたとえ」とありました。確かに鳥類の分類上は、タカ目タカ科までは同じなのですが…。誤った情報や知識をお子さんに植えつけないようにと配慮しつつ、ここに注記しておきました。)

 また、こんなことも考えられます。仮に、天才か凡人かの形質の遺伝子があったとします。数学の統計学的に考えてみると、天才の数は凡人の数を上回らないのが常識といえます。すると、多数派の凡人の形質が優性遺伝子であり、天才の形質は劣性遺伝子であるということになります。もしもその逆だと、あちこち天才だらけで、天才という言葉の意味が無くなってしまいます。

 確かに、何らかの優秀な形質の遺伝子を共に持つ両親から、何らかの優秀な形質の子供が生まれてくることは、夢のある話だと思います。私は、そのような話を全否定するつもりはありません。ただ、その『何らかの優秀な形質』が優性遺伝子によるものと考えるよりも、劣性遺伝子によるものと考えるほうが、数学の統計学的に合理的ではないかと思うのです。

 私は、以上のように考えて、いわゆる『優性思想』が遺伝子学的根拠を失うと考えています。

 ところで、最近テレビのドキュメンタリーや、裁判のニュースなどで、19人の障害者を殺害したU被告のことが少し気になっていました。誰でも、一度はU被告のようなことを考えたことがあるものです。特に、若い頃の私は、今よりもはるかに精神的に不安定でしたので、そのことを否定することができませんでした。

 私がそのことで一番気になったのは、U被告に対してではなく、良識のある身障者の方や、そのほか多くの身障者の方々が、U被告の起こした事件をきっかけに、健常者たちへも疑いの目を向けだした、ということでした。U被告の問題は、彼自身だけの問題ではなくて、健常者の私たちみんなにあてはまる問題なのではないか、という疑いがかけられているということです。よって、私たちが、U被告に何らかの処分を下すことは、障害者の皆さんのそうした懸念を無視して、この問題をうやむやにしてしまう。と、障害者の皆さんが怖れている。と、そのように私は解釈しています。

 確かに、U被告の言葉を真に受けると、私でさえもイライラしてきます。裁判長のおっしゃられたことも、ごもっともです。しかし、この問題は、良くても悪くても感情的になっては何も解決しません。もっと冷静に考えると、そんなに難しい問題ではないことがわかります。

 アドラー心理学と言うものをご存知でしょうか。私も最近、夜中のテレビ再放送で、100分くらいの放送を見て学びました。『課題分け』という伝家の宝刀を示しましょう。(注記 『課題分け』という言い回しは、私のアドリブでした。正確には、アドラー心理学における『課題の分離』と呼ばれています。)

 U被告が死刑になるか否かは、実は、障害者の皆さんには何の関係もないことです。それは、U被告自身の課題であり、障害者の皆さんの課題ではありません。他者であるU被告の課題を背負うのは、たとえそれが善意からであっても、U被告を一人の人間として見ていないことになると思います。彼は、障害者と意思疎通ができないと言いつつも、裁判長とも弁護士ともあらゆる健常者とも意思疎通ができていません。その孤独を背負っているのは彼自身であり、彼と同じ殺人事件を起こして、彼と同じ孤独を背負うことは私たち健常者の誰にもできません。

 実は、10代の若い頃の私は、身近の大人である両親の言動や態度にいちいち違和感をおぼえていました。そして、彼らに隠れて、泣き出したり自傷行為に走ったことが何度かありました。しかし、やがて、やっとのことで、良い方法を見つけました。父も母も、私自身にとっては反面教師なのだ、と思うことにしたのです。たとえ私、自らが孤独であったとしても、そうして彼らを突き放して見ることによって、彼らを恨んでいたことが間違いであったことを、恥ずかしいことであったことを自力で気づくことができました。

 そんな私は、U被告を反面教師にしようと決めました。健常者の私たちは、障害者の皆さんに疑念を抱かせたり、怖がらせてはいけないと思います。障害者の皆さんも、健常者の私たちの言動を信じていただきたいと願っています。

東京大空襲について私が知っていること

 今日の夕方、テレビのニュース報道番組を観ていたら、昭和20年3月10日の東京大空襲のことを池上彰さんの解説付きで報道されていました。

 もちろん、私は昭和36年生まれで、直接このことを経験したわけではありません。ですから、このことを戦争体験として語り継ぐことは出来ません。しかし、全く何も関係がないわけではないことを、このブログ記事を最後まで読んでいただければ、わかっていただけると思います。

 私は、子供の頃に、テレビの終戦特別番組の映像で、その東京大空襲の様子を初めて知りました。アメリカ側と日本側の両方の映像を見たので、その情報の偏りというものは無かったと思います。また、10代になって、早乙女勝元さんという人の著作で『東京大空襲』というタイトルの岩波新書を買って読んだことがあります。あの日に何が起こったのかが、生き残った証言者の言葉を交えて、詳しく書かれていました。そしてまた、NHK朝の連続テレビ小説などで、終戦直前の東京の下町にヒロインが住んでいると、必ず描かれるのが東京大空襲の場面であることは、よく知られていると思います。

 確かに、第2次大戦中に、いろんな都市が空襲にあっているわけで、東京のその空襲だけが特別だというわけではないという意見はごもっともだと思います。しかし、なぜその空襲に「大」という字が付いているのかという意味を、本当は考えて欲しいと個人的には思っています。

 当時生きていた人で、今ではおじいさんになった人で、戦災に遭(あ)った地域から少し離れた場所に住んでいた人に、私はかつて話を聞いたことがあります。「アメリカの爆撃機がずっと向こうに飛んでいる音がして、爆弾を落とされた場所に火の手がまわって…」などと、まるで戦争映画の場面を観ていたかのように、他人事のように話し出されたので、私はびっくりしました。戦争の惨禍とは、同じ空の下であっても、遠くで起きていることについては、他人(ひと)はドライに感じてしまうものなのかな、と思いました。(それはそれで恐ろしいことなのかもしれません。)

 東京の下町の、さらに下町の足立区の北側は、埼玉県と接していますが、その境目には、『お化け煙突』と俗に呼ばれていた工場の煙突がありました。私は写真で見たことがありますが、その複数の煙突が、見る方向によって本数が違って見えたために、そう呼ばれていました。けれども、それはアメリカの爆撃機にとっては、格好の目印となってしまったらしく、その『お化け煙突』の南側がじゅうたん爆撃の対象になりました。もちろん、『お化け煙突』のすぐ南側に位置する足立区も、アメリカの爆撃機からじゅうたん爆撃をされてしまいました。(戦後、私が幼い頃に、その時にアメリカの爆撃機から落とされた不発弾が近所で見つかって、大騒ぎになったことがありました。)

 昭和20年当時、私の父は小学校の高学年で、足立区の梅島小学校に通っていました。私の実家はその時すでに、その小学校から南西に徒歩で7分ほどにあって、私の父とその両親(つまり、私の祖父母)の3人でそこで暮らしていました。そして、運命の日の前日に、私の父は両親に連れられて、長野県の柏原の親戚の家に疎開しました。東京の上野駅から、汽車で長野県の黒姫駅へその3人は移動したのでした。

 その結果、私の父には、小学校の同級同学年の友人が一人もいません。実は、あの東京大空襲の日に、学校の同級生が全員アメリカの爆撃でやられて(つまり、死んで)しまったのです。私の父だけが、たまたま私の祖父母に連れられて、その前日に長野県に疎開したおかげで助かったらしいのです。あと1日、その出立(しゅったつ)が遅れていたら、私の父も祖父母も、命が無かったかもしれません。

 何たる偶然、そして、何だか不思議なSF的な話かもしれませんが、もしも私の父がその時に戦災で亡くなっていたら、私が生まれることはなかったわけです。こうして、私が皆さんにブログ記事を書いているなどということも、事実として無かったかもしれません。

 重ねて申し上げますが、私の意図は、反戦を唱えることでも、当時のアメリカ軍を非難することでもありません。戦後に生まれた私には、あの頃に犠牲になって亡くなられた人々の苦しみや悲しみの、直接の経験さえありません。けれども、もしも私の父があの日に命を落としていたならば、私自身の人生そのものもこの世に全く存在していなかったであろうことは、よく理解しております。

 

 

はしかの記憶

 今どき、こんな話題を取り上げるのは、時代錯誤もはだはだしいと思われるかもしれません。興味のない人は、もちろん読んでもらわなくてもいいと思って書いてみました。『はしか』というのは、現在インターネット上の説明では、麻疹(ましん)ウィルスによる急性熱性発疹性感染症だそうです。私は、小学校2年生の頃に感染発症して直りましたが、こんなものものしい名前が付いている病気だとは知りませんでした。

 当時の東京の学校では、4月から6月くらいに大流行して、多くの子供たちが『はしか』にかかってしまいました。けれども、周りの大人たちは、慌てるどころか皆けろっとしていて、「子供のうちにかかっておけば、免疫ができて、たとえ大人になってかかっても重症にならないんだよ。」と私たち子供に言って聞かせていました。彼ら自身、子供の頃に『はしか』を経験していて、子供からうつされることはなかったのです。そんな大人の言うことを聞いていたので、『はしか』にかかって、急に高熱が出ても、腕や頬にブツブツができても、体がだるくなっても、それほど心配になったり、怖くなったりしませんでした。

 私は、乳幼児の頃に日本脳炎ジフテリアのワクチンを接種したことがありますが、当時はまだ『はしか』のワクチンが一般的に接種されていなかったと思われます。当時の『はしか』のワクチン接種は後遺症が残るということで、一般に普及していなかったのだそうです。したがって、『はしか』が一回流行すると、大流行して子供たちはほとんどみんな『はしか』にかかってしまいました。

 当時私が通っていた小学校は、東京都の下町の、さらに下町(足立区)の公立小学校でしたが、新学期が始まって間もない頃に、まず5、6人の欠席がありました。そのうち欠席者が少しずつ増えて、10数人の空席ができました。2,3週間ほどすると、最初に欠席したうちの2,3人のクラスメートが教室に戻ってきました。私は、かれらの誰とも親しくなく、少し離れて彼らを見ていました。彼らは、『はしか』から快復したと言われていましたが、病み上がりで頬にまだブツブツが残っていました。それを見て「大丈夫かな?」と私は神経質にも思っていたのですが、間もなく私も『はしか』に感染発症して学校を1カ月近く休むこととなりました。

 当時私の東京の実家は、『はしか』に感染発症する可能性のある子どもは、私と、幼稚園の妹と、2歳の弟でした。結果的には、私→妹→弟の順で、時間差で一人ずつ発症しました。家事をしていた母にとっては、一人ずつの発症だったので、それほど負担はかからなかったようです。

 空き部屋があったので、そこに布団を敷いて寝かされました。体にブツブツが出て、熱が38度から39度近くまでありました。それで体がだるかったので、「寝て安静にしていなさい。」という母の言葉に素直に従って、2、3週間何もしないで寝ていたと思います。窓から光は射すものの、テレビも何もなく、天井の木目ばかり見て、布団の中で大人しくしていたら、あっという間に2、3週間が過ぎてしまいました。私の母が三度の食事を お盆で運んでくる以外、家族の誰とも接触しませんでした。

 それから間もなくして、幼稚園に通っていた妹が隣の部屋で『はしか』にかかって安静にしているのがわかりました。その頃、学校からもクラスメートが二人くらい来て、宿題のプリントと給食の食パンとジャムとマーガリンを持って来てくれました。おそらく、お見舞いと病状をうかがいに来たのだと思います。しかも彼らは、近所の友人ではなく、『はしか』が終わって回復したクラスメートでした。おそらく、クラスの担任の先生の指示で、宿題と、給食の一部を持ってきたのだと思います。それから二週間くらい、ゆっくりと体が回復してきて、熱も次第に下がってきました。体のブツブツも、きれいになくなりました。学校を休んで、四週間半くらいで、教室に無事に復帰することができました。

 私の記憶では、高熱は出たものの、自宅の一人部屋で絶対安静にして十分に睡眠と食事をとらされたために、大事に至らなかったのだと思います。体に抵抗力が付いて、免疫ができるまで四週間以上もかかりました。が、大人になっても、一度も『はしか』にかかっていません。よく大人の『はしか』は重篤化すると言われていますが、子供の頃に感染発症後に十分気をつけることは、『はしか』に関しても重要と言えます。

 私の学校や学年やクラスで、結局みんな『はしか』から快復したという記憶から、私は先日、母に「あの頃の『はしか』は、ちゃんと安静にしていたので大したことなかったね。」と話したら、意外なことを母から聞かされました。「実はね、あの頃(の日本で)、『はしか』の流行で命を落とした子供も何人かいたんだよ。」と母から教えられました。私は、そういう不幸な死亡リスクを少しも考えていなかったので、そんな私自身を恥ずかしく思いました。

 

まず検査できて本当に安心なのか

 近年私は、地元の地方自治体および保健所の要請で、毎年かかりつけのクリニックで定期的に健康診断(定期健診)を受けています。その中でも血液検査では、いろんなことがデータとして出てきます。その見方を教わる時に、保健所の担当者さんによく言われることは、「検査の結果に一喜一憂しないでください。」ということでした。生活習慣病の特性として、長期的にデータを取っていないと、問題がはっきりしないと言われました。一回や二回の検査では、わからないことが多いということなのです。

 そう言われてみると、私は二十代の頃に健康診断を受けて、中性脂肪値と悪玉コレステロール値と尿酸値が高くて、尿管結石とか足の踵(かかと)の剥離骨折とかをしばしば起こしていました。尿酸値が高いことから、贅沢な食事病と疑われていました。しかし、当時の私は、毎日のように贅沢なものを食べていたわけではありませんでした。しいて言えば、働き過ぎでストレスをためていましたが、それと疾病症(しっぺいしょう)との因果関係がどうしてもつかめませんでした。当時の医学では、そこまでしかわからなかったのです。

 私は、ここ数年前まで、尿酸値を下げる薬を飲んでいました。ところが、尿酸値が下がっても、今度は血圧が少し上がって来ました。体調がすぐれず、加齢のためとあきらめかけていました。ところが、今のクリニックで診てもらっているうちに、尿たんぱくの値が陰性と陽性の境目を行ったり来たりしているのをみつけてもらいました。そこで、その値を改善する薬を処方していただいて治療を継続していくうちに、尿たんぱくの値と、高血圧値を改善できるようになりました。体調がもどって、ついでに中性脂肪の値や尿酸値も下がってくれました。結局何が悪かったかと申しますと、私の腎臓の働きが生まれつき少し悪かったのです。(これは私の個人情報ですが、今回の説明のために、あえて明らかに致します。)

 もしも、その私の体の弱点を見つけられないまま治療ができないでいたら、腎不全になってしまう運命であったことを、かかりつけのクリニックのお医者さんから告げられました。もちろんこの疾病症が完治したわけでなく、所定の薬を飲み続けて、治療を続けています。薬を断って油断をして、腎不全となった場合、透析を受けないとなりません。それは、金銭的にも時間的にも精神的にも身体的にも大変なこととして、そうならないようにと、お医者さんから絶えず警告されています。

 ところで、新型コロナウィルスの検査についてですが、本当にその検査を受けて安心できるのか、あるいは、安全になれるのかということを、専門家さんの意見や話とは別に、個人的に冷静になって、私は考えてみることにしました。ひょっとして、一般的に考えられていることは、まず新型コロナウィルスの検査をしてもらえないために陰性か陽性かわからず不安だ、ということではないのでしょうか。その検査をしてもらって陰性であることが証明されれば安心できると、期待しているだけなのかもしれません。

 しかしながら、現実的にはそうなるとは限らないことを想像していただきたいと思います。検査の結果で一喜一憂してはいけません。陰性だと検査結果で出たとしても、ヒトとして生きている限りは、感染のリスクがゼロになることはありません。ヒト対ヒト感染のウィルスであることと、感染せずにこの新型ウィルスへの抗体ができることが現時点では不可能であることが、その根拠です。陰性の検査結果に個人的に安心を得られたとしても、それは一時的なものであり、自分さえよければいいという利己的なものになりがちであり、科学的にも社会的にも解決できていないことに誰もが気づくべきです。

 それでは逆に陽性だと検査結果で出たとしましょう。(陰性の場合と同様ですが、そんなことは、なってみなければわからないと、皆さんは思うかもしれません。ならば考えないでください。ここで、私の記事を読むのをやめて結構です。それは皆さんの自由ですので、私は強制いたしません。)もし陽性の検査結果が出たとしたならば、私たちはどうしたらいいのでしょうか。お医者さんや地方自治体や保健所の指示に従うとして、今までの生活のパターンをすべて変えなければならないのでしょうか。少なくとも、陽性の検査結果が出て、どのように治療されて、どのようにこれまでの生活が保障されるのかは、全く見えません。そして、他者との格差や差別があからさまになるのは確実です。しかも、検査陽性という個人情報が、民間の検査機関で適切にセキュリティ管理されない場合は、その人の人生を一生ねじ曲げてしまう危険さえあります。新型コロナウィルスの個人情報をビッグデータとして欲しがっている誰かがいることを、日本人の私たちは見逃してはなりません。大した情報ではなくても、それを売買して金儲けができることは明らかなのですから。

大人の世界に正解はない

 今回は、しばしば取り上げられるこの言葉に関して、日本人として考えてみたいと思います。時も折(おり)、テレビのニュースや情報番組を観るたびに、新型コロナウィルスの話題でもちきりになっています。その中国の武漢における鮮烈なデビューは、日本人の誰しもがその状況を映像で見てショックを受けたことと思われます。が、私としては、その新型ウィルスそのものの感染拡大を心配し恐れるよりも、情報そのものの感染や過度な汚染を恐れています。テレビで話をする人の口から発せられる意見・事実あるいは推測のいかなる情報においても、「新しい状況に直面して、心配で怖い」という感情的な情報が暗に含まれているように思われて、ちょっと心苦しい気がします。

 私は、もともと優等生でもエリートでもありませんから「どんな苦境にも負けるな。」などとは言えません。現に、若い頃には、大事な入学試験で正解が導けなくて失敗したことが何度もあります。そんな私から見ると、昨今の日本社会の人々は正解ばかり求めて、他者の行動や言動を批判しているかのようなふうにも見えます。「そんなにあなた(あるいは、あなたたち)は偉いのですか。」あるいは「そんなにあなた(あるいは、あなたたち)の判断や見解が絶対的に正しいのですか。」あるいは(どこかのクイズ番組のように)「オーディエンス(大衆)が正しいと感じているならば、絶対に正解なのですか。」などと、私は思ってしまい、そうテレビに向かって話しかけてしまうのです。

 例えば、最近よく、「新型コロナウィルスの感染の拡大が止まりません。」という言葉をテレビから受け取ってみても、どうしても疑念が生まれてしまうのです。感染者数や死亡者数などを知っても、果たしてこれからの心配や懸念を生み出す根拠が私なりにどうしてもつかめないのです。

 社会科学的に見れば、ヒト対ヒトの感染で、しかもワクチンも特効薬もない無い状態は、危機的な状態なのかもしれません。いわゆる『正解』のない状態と言えましょう。しかし、自然科学的に見れば、『新型コロナウィルス』だけが突出して異常増殖している証拠があるわけでもなく、ペストやチフスコレラなどの伝染病のような悪い衛生条件下の汚染があるわけでもないと思われます。もちろん、私がとびぬけた馬鹿なのかもしれませんが、そんなに大騒ぎして世界から非難されることなのかな、と思ってしまいます。(そういえば、日本では、放射性物質の時も同じようなことがあったような気がします。)

 実は、私は(自慢ではありませんが)インフルエンザのワクチンを一度も接種したことがありません。それでも、とびぬけて健康だったわけではなく、20代の頃に風邪をひいてお医者さんに行ったら、「インフルエンザだね。」と言われたことがありました。あの頃は、毎年のようにインフルエンザを自宅の家族からうつされて、喉が痛かったり、胃腸がやられたりしました。様々なインフルエンザウィルスに感染したおかげで、体に抵抗力(免疫力)をつけられる生活療法が自然に身について、ワクチンが完成するよりも早く抗体が体内にできるようになったようです。逆に、そうしたウィルスが感染してこなければ、永遠にその抗体ができないわけで、ある意味それは不幸なことなのかもしれません。

 したがって、今回の新型コロナウィルスに関しても、過度なウィルスの汚染でなければ、あるいは人間側の免疫力が過度に低くなっていなければ、一般人はそれほど危険を感じなくてもよいのかもしれません。

 しかし、だからといって油断は禁物です。私は、仕事柄、屋外で土をいじります。土の中には、小さな虫やミミズ、ナメクジや菌類、雑菌、細菌、バクテリア、ウィルス等々が多々うじゃうじゃいます。塵灰や汚れも半端ではありません。そうした物をすべて洗い落とせるわけではありませんが、それでも家に帰ってきたら、一応、普通の石けんを手に付けて、水で洗います。「なんだそれだけか。」と多くの人は思うかもしれません。が、その手洗いが私のように「ずさん」でも、その効果は絶大です。さらに、バスルームに入って全身シャワーを浴びて石鹸で洗って、顔も頭も首も軽く洗えば効果てきめんです。これは私の場合ですが、風邪の予防には効果があると思いました。

 アクティブラーニングがどうのこうのと子供の教育について騒がれますが、私は『明日の子供』のことより『今日の大人』を大事にしたいと思います。『明日の子供』は、『今日の大人』の背中を見て育っていくものです。アクティブラーニングだって、そもそも「大人の世界に正解はない」ということを根拠として、大人になった時に役に立つ技能の一つとして子供に教えるわけです。(しかしながら、これまで積み上げてきた科学的知識を全て否定して、未知のウィルスに人類が立ち向かえるとは、さすがに思えませんが…。)

 とにかく最後に、私が即興で考えた「大人の世界に正解はない」ことの一例を示しましょう。(即興というと、モーツアルト即興曲のようですが、私の考えたのは音楽ではありません。)「5+6=11」だと、私たち日本人は、小学生の頃の算数で学びました。だから、「5+6」の正解は「11」だと、私たちは誰もがそう答えて、ほんの少しも疑いません。なぜ「5+6」が「11」以外の答えにならないのか、誰もそれを疑わず、誰もその理由を考えないのです。なぜならば、「5+6」は「11」が正解であり、それ以外は間違えであると暗に大人から教えられてきたからです。正解以外に答えはない、あるいは、正解以外は意味が無い、という世の中に、私たちの世界はなりつつあります。

 それでは、最後に、私の答えを示しましょう。「5+6」の正解が「11」なのは、10進数の世界の話です。あるいは、時計の時分の12進数と60進数のように、12や60以上で位取りがなくて10進数に準じているような場合です。それに対して、16進数では、「1B」としないと「11」(10進数では17の値)と区別がつきませんし、8進数や9進数ではおのおの「13」や「12」となります。

 優等生の皆さんから見ると、ずいぶんと疑り深い、あくどい世界と思われるかもしれませんが、それが大人の世界なのです。